発達障害という言葉はわたしの若いときはなかった。いまはそれが言葉で特定されたから、区別される。身内のことでもあるので、困り果てて、図書館からありったけのその手の本を借りてきて読んだ。新刊書店に行っても、その本ばかりがひとつのコーナーを作っている。学究ではないが、何か困難にぶつかれば、解明したくなるのがわたしの性質で、とことん勉強もしたくなる。たまたま、先日は雑誌に頼まれて書いたら、出版社から図書カードが送られてきた。そのカードでショッピングモールの中の書店に行って、発達障害全書とい分厚い本と取り換えてきた。息子に読めと渡したが、彼は本は読まない人なので、放置したまま、開こうともしない。仕方なく、自分が先に読んだが何時間もかからない。知っている内容もあるからだ。その本の主旨は、発達障害は病気ではないという。個性だと、そう言い換えている。昔はそうだった。障害と病気にしてしまうのは、医者と薬メーカーの陰謀ではないのかと思うときがある。なんでも病名を付けて、現代は精神的病の増産だ。
大学などで研究もされているが、それもここ15年くらいのものらしい。精神病自体が歴史は新しい。太古からあるものだが、それが医学的に研究され、治療方法が確立されていないものも多いが、まだ途上なのだ。
その本によれば、発達障害の半分以上の確立で、遺伝的要素もあるのだとか。わが家では息子には小さいときからそういう性質は認められなかったが、吃音はあった。大人になったら治ったが、それが上の子供と下の子供に出ていた。それも大人になると治るとは本に書かれていたが、少数の人は生涯抱えることになるとも。発達生涯もある年齢、成人したら9割が治るとも書かれていた。症状のグラフでは、大人になると低減している。それなら子供のうちと思えば安心するが、どうなのか、親だけでなく祖父としても心配するところだ。
不登校になった下の孫娘は、母親の事件でそうなったのではなく、青森で暮らしていたときからなので、いまに始まったことではない。ただ、完全引きこもりではなく、気分屋で、学校には行ったり行かなかったりしていた。平塚に越してきた当初もそれはあって、担任の先生が心配して、家庭訪問を何度かして、わたしも電話や会ったりした。親は仕事で忙しかったので、代わりに相手をしていた。不登校の本もまた図書館からありったけを借りて勉強する。どうして、じじいになって、そういう本を読まないといけないのだ。
わたしは再婚した連れ子二人と実子三人の五人の子供のうち、不登校にならなかったのはいま生計を共にしている三男だけで、後の四人はみんな中学高校と不登校に一時なり、いじめもあって、モンスターペアレントで、学校に乗り込んで、校長と対峙したこともあった。そういう自分の親としての経験もあったが、それも一時的で、風邪のように終わった。心配することがない思春期の誰でもある病気ではなく、心の不安定なのだ。
いまは便利な世の中になり、コロナから続いているリモート学習というものがあり、下の孫娘は部屋にいて、タブレットでみんなと同じ授業を受けて、学校にもたまにスクーリングで行くのは通信教育と一緒だ。それでいまは中二で後一年少しあるのだが、中学を卒業したら、バイトもして通信制の高校に入るという。息子とわたしが見ていて、話し方はしっかりとしているし、精神的異常は感じない。むしろ、姉よりはしっかりしていて、料理もするし後片付けもして、逆に姉を叱っていた。友達に虐められたということではなく、自己中なので、無視されるとそう思い、学校に行かなくなった。自意識過剰なのだと息子は言う。絵がうまいので、うちの長男次男がやっているゲーム会社に連れて行って、手伝うことがあればと、その道に進ませたいと、息子は娘の将来を考えている。ギフテッドというが、発達生涯はどこか特異な才能があったりする。下の娘は絵のセンスがよさそうだ。上の娘はクラスでもトップのほうで、頭はいい。友達もいるようだが、吃音が邪魔をして、やはり片づけられないという生活支障が、学校でもあるのだろう。ものを忘れる、ものをよく失くする天才だった。過ぎたことが目にも頭にも入らない。後ろは消えているのだ。それで冷蔵庫から出したものはそのまま、すべてやりっぱなしで、いくら注意して叱っても直らない。それは初めはだらしがない、いい加減で注意力散漫と性格かと思っていたが、それは病気だったのだ。それからは怒ったりはしない。すべて後始末はわたしがする。だけど、それもずっと将来直らなかったらどうしようか。いくら頭がよくて、いい大学に入れても、就職したら、会社ではそれは許されないことになる。パソコンはつけたまま帰る。データ保存はしていなかったり、入室のカードも失くす。ドアは鍵もかけないで帰る。大事な契約書はどこに行ったのかと探しても見つからない。記憶も吹っ飛んでしまうのか、本人は周囲が見えていない。そういうことが続くと首だろう。勤まらない。ただいい面もあるのは、すぐれた天才肌の人が多いので、会社としてはそういう発達生涯の人たちのための職場の適材適所で、才能をフルに使える現場作りをしているギフテッド対策もしているところもある。チームワークでやる仕事は難しいが、一人でできる研究とかはご迷惑がかからない範囲でできるだろう。
息子とは孫娘二人の将来のことまで考えている。母親がどうもそうらしいので、母親も発達障害ではないのかと疑う。片づけられない。後先を考えないというのは、どうも遺伝のような気もする。
下の娘が中学卒業し、上の娘が大学に入ったら、少しは楽になる。上が大学の寮などに入ったら、イライラもなくなるし、わたしの家事も減る。後三年でがらりと生活は変わるだろう。その前に、母親が出所してきて、平塚にまた来たら、後は任せて、わたしは離れようと思う。それまで後一年か二年か。
発達生涯も10人に1人いるというから、それまでは変わった人とか、落ち着きのない人といった性格として捉えていたものが、ここにきて病気にさせられた。世の中を見たら、偉人といわれている人にも多く、芸能人や芸術家にも多いとか。特異な才能があるから、そういう分野で出色の才能を活かせる。それを息子と話して、平凡よりはいいのじゃないかと、将来を楽しみにしていると慰めている。