息子一家と暮らしていて、毎日がインスタントラーメンばかりで、見ていておかしくなりそうだ。それも辛ラーメンとかいう袋入りがみんな好きなようで、わたしは一度も口にしたことがない。五歳児の孫は辛いのはまだダメで、チキンラーメンなのだ。ちゅるちゅるが食べたいとうるさい。12個入りを買ってくるとそればかり食べるので、パパにも買うなと言ってある。スーパーに連れてゆくと、好きなチキンラーメンを見つけて、買うと騒ぐので、あまりスーパーには連れて行きたくない。

 外食も毎週家族でしている。土日のパパが休みのときだ。わたしは邪魔はしないように、ママも入れて元の家族全員でラーメン屋に行く。家でもラーメン、外でもラーメン。他に美味しいものはないのか。

 そういう単細胞ばかりが同じものばかり食べていると、すっかりとバカになる。アメリカ人もハンバーガーばかり食べているわけではないだろうが、ニューヨークに旅行したときは、レストランは高いから、結局ファーストフードが多くなり、毎日三食がホットドッグやハンバーガー、ポテトとコカコーラで辟易した。もうしばらくはハンバーガーの顔も見たくないと思ったほどだ。

 

 ラーメン店も次々にできては閉店しているが、どこの街にもラーメン屋ばかりで、昼は並んでいる。わたしは別に食べたいとは思わない。そんなにラーメンは美味しいのか。他に美味しいものは山とある。毎日違うものを食べ歩きたい。サラリーマンでも毎日ラーメン。それも同じ店で同じラーメン。よく言うのが、生まれたばかりの子猫に小麦粉を舐めさせたら、そればかりを食べるようになるとか。ソウルフードということもあり、プリンティングで、脳裏に刷り込まれて、ひたすらそればかり食べ続けるようになるとか。わたしの場合は、乳児のときの離乳食が12歳の祖父の田舎から頼んだあだこという子守の娘が、納豆をご飯に乗せて、その上から味噌汁をぶっかけたチャッペライスみたいなのを毎日食べさせられたので、いまも、それが自分の中では最高のご馳走になっている。たまに食べたくなると納豆味噌汁ぶっかけ飯を食べている。

 食の冒険は必要で、食べ物が一辺倒では、好き嫌いが激しく、うちの孫たちもそうだが、息子まで、いつも同じラーメンしか食べない。それしか見えないのは頭の中がバカになっている。わたしが用意したおかずは全然箸もつけないので、もうわたしは怒って、作らないことにした。自分だけが食べたいものを買ってきて、息子と孫のことは考えない。コンビニで弁当でも好きにしたらと、カップ麺も箱で買ってきて、置いてあったりするから、朝飯はみんな抜きで、昼は給食とか弁当持参もコンビニだろうか、なんだか、そういう食生活は楽しみもくそもなく、栄養なんか考えない。偏食で、喰わず嫌いなので、食べたことのないものは手を出さない。野菜は食べないし果実もそうで、わたしだけが食べている。太極拳の仲間が葡萄農家で、シャインマスカットの栽培をしているので、みんなが安くしてくれると注文する。スーパーの半額くらいで買えるから、去年も頼んだ。ところが誰も食べない。孫娘なんか一個食べて、後は残飯に捨てていた。一粒何十円すると思っているのだと、わたしは拾って洗って食べたが、もう食べさせないことにした。食べ物は粗末にする。フードロスは多い。孫たちを一度アフリカの飢餓の国に連れてゆきたい。そこでひと月生活させたら、なんでも食べるようになるのだろうか。

 青森県に移住した夫婦のブログを読んだ。県民に美味しいものと聞いたら、大方がラーメンでがっかりしたと。カップ麺の消費が一人当たり全国一という不名誉な記録を続けている青森県だ。そこで育てば、親も子もそれに慣らされて、別に疑問も感じない。塩分摂り過ぎで短命県一位も変わらない。青森県だけではないだろうが、共稼ぎ家庭が増えてくると、子供にご飯支度も面倒になり、手っ取り早くインスタント食品になる。それがカップ麺やインスタントラーメンばかり与えるようになる。県民所得も低いので、貧しさもそれに加わる。テレビの特番では、中南米がそうで、安いレトルト食品ばかり子供らに親が食わせて放置。子供の肥満が半数を越えて、成人病も若いうちに半分がなるのだとか。それは完全に貧困によるものだ。

 いまのわが家を見ていたら、共稼ぎ家庭のもっとも悪い食生活のパターンで、孫たちがどうなるか心配でならない。親もそのうち成人病になり、一家でインシュリンの注射になって、目も潰れる。それが見えている生活だ。

 

 それはいけないだろうと、レタスとバナナとプロティインと黄な粉に豆乳と蜂蜜、すりごまでスムージーを毎日作って、息子に飲ませていたが、息子はいらないと言い出す。カスピ海ヨーグルトだけは飲んでくれるから、毎日牛乳継ぎ足しで作っている。何を作っても誰も食べない。青森から送ってくるものもわたしだけが食べる。どうしようもない一家で、親として子供の食育の責任がない。これからどうなるのか。きっと早死にする。成人病になる。いろんな病気になりそうだ。不健康極まりない食生活で、好きなものだけ同じものばかり食べ続けて、みんな肥満になっている。子供らの肥満は親の責任だ。しかも、その親も似たような食事で、栄養は考えない。毎日、食器の洗いものは、油でぎとぎと、ボールも箸もシンク周りが赤い油でなかなか取れないので、スポンジもすぐにダメになり、重曹やクエン酸で洗っても取れない。がびがびに油が全部に油膜を作る。それが毎日食べているものなのだ。ハイカロリーには違いない。揚げ物はみんな好きなので、冷凍の唐揚げもよく買ってくる。口に入る食品は種類は少ないが、どれも体によくないようなものばかり。食の範囲が狭いどころか、動物園の動物の餌のように、画一的なものばかり毎日食べ続けていて、ぶくぶくと太って、いまに、きっと何かの大きな病気をしそうだ。それを親も容認して、一緒になって食べているから、わたしとしては何も言えない。

 孫娘はいま何か月も不気味な咳をしていて、学校を休んだりしているが、一度だけ病院に連れて行って、コロナと診断されたが、それもそんなに長く続くものなのか。三か月も咳ばかりしている。息子にちゃんと大病院で診察してもらえと言っても知らん顔。いいのかそれで。これでは同居はとてもできない。腹だたしいことばかりで、こういう動物たちと一緒には暮らせない。

 

  前にラーメン教という詩を書いた。それが下記。

 

    ラーメン教

 

ラーメンは食の頂点に君臨する神か

信者たちはその聖餐の食堂に並ぶ

毎日並んで信仰心は厚い

寝ても覚めてもラーメンラーメン

ラーメンだけあれば何もいらない

キリストも驚くラーメンアーメン

世の中こんなにもラーメン教徒が多いのか

行列もいたるところに

昼となく夜となく

ラーメンラーメンああラーメン

そんなにいいのかラーメンは

ひょっとして妄信か

宗教は阿片だ

ラーメンも食生活習慣病

なにか中毒になるものが入っているのか

一度食べたら病みつきになるとは

そういう患者ばかりが亡霊のように

ラーメン屋に並んでいるのは

不気味を通り越して狂っている

 

そんなにいいのかラーメンアーメン

それしかないのか食べるもの

すりこみされた人々は

もはやラーメンの神から逃れられない