10年以上前のことだ。



Nepalの首都 カトマンズで仕事をした。







立場はsupervisor。







ちょっとしたPCシステムを5setほどupして現地の大学生(唯一の国立かつ唯一の大学、トリブバン大学)が独自運用できるようにして帰還する。



それだけの任務。







香港までは







今は亡きJAL(え! まだある?! こりゃまた失礼致しました)







で、ここからは、何だか手違いがあって、transitに手間取って・・・・Cathayでバンコク。








幸い








当時の待遇は全てビジネス。








そういった 意味では ずいぶん RICH な 出張では あった。








バンコクでは、夜中到着で 母国で頼まれていた ちょっとした案件を片付けるために








深夜 2時に 空港からタクシーで バンコク市内の 国際交流基金へいったのを








覚えている。












タイの 国際空港ホテルに一泊。 市内から戻ってきて








3時間ほどしか寝ていないのに めっちゃ 高かった。









バンコク から カトマンズまで・・・・・








確か Nepal Air を 避け、 








Thai AIr も 避け








???? どうだったっけ。











帰りは その 足で クアラ(ルンプール)なので








Malaysian Air だったのだけは 覚えている。
















カトマンズ












そこは、1,000年前が そのまま なのだ。












日本人の学生、文化人 多種多様な人々が








はまってしまう場所。












そう












仕事で さえ なければ 本当に








魅力的なところなんだろう・・・・・・












ネパールの 当時の人口は 








1,500万人(当時は そう 何かの資料で認識していた)





でも Wikipedia では 2008年現在 2,900万人 だと・・・・・





どうせ きちんとなんか ・・・・・。





大体、生まれてから 届け出までの間の死亡率も高いし、届け出義務に対する意識も薄いはず。





そもそも 水が少ないから 出生と同時に 嬰児をきれいに洗ってやれないので眼に絡む障害も多いと聞いた。





対国民 bed数(病院の)も不足しているはず。








平均 年収は、 $200


(留学生が日本で最初に缶ジュースの値段に腰を抜かす)目











平均寿命は 男女とも 50歳








主たる産業は ・・・・ なし!








どんな 風に 記述されていようとも








「な し !」 だ。












ここで 自分が 体験したことは








多くの 日本のビジネスマンが








おそらく「気の持ちよう」 という言葉で








親善のために 沈黙を守っている事柄








なのかもしれない。
















だが、自分にとっては 








思いだすだけで 頭にくる








国柄 なのだ。
















なぁにが ODA だ。








寄付され慣れて








労働 に 対する 意欲が 殆どない。








(と、 映るのだ)












いや








失礼。












ついつい 興奮してしまった。












日本人が 働き過ぎるのだ(ろう)。















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「文化無償プログラム」 というのがある。








ODAの一形体だ。








柔道着、マット、教材など








日本で伝統的に国内教育で利用されている文具(簡単にいえば)








を 親善を兼ねて 「もの」 として 寄贈する。















博多人形 などの 寄贈は 本当に








ただ、「あげる」 という 行為だが 文化無償は








使える 文具 を上げることのほうが多いと感じる。












こういった ものの 選別 に 陰ながら寄与しているのが








日本の 商社マン 達。(会社体質がよくあぶりだされる)


















つまり もうかりゃ なんでも 寄贈 という 会社と











日本の将来を含みにして 現地 EOJ(Embassy Of Japan) と











ようく 議論、吟味して それなりのものを 寄贈しようと進言











する商社マン の いる 会社。


















そういった 観点から 役人が相手にする会社も 選別されてくる。











卑しい 商社マンと ネンゴロ になる 役人











いつも 包括的、総合的に 流されることなく 学習を旨としている











役人・・・・・・











類は友を呼ぶ。


















ま、


















いろいろ いる。































さて、 一体 ネパールで何が あったのか・・・・・












なぁ~に 大したことは 起きていない。








ODA 対象国なら どこでも あきれ返るようなことが








おきている。(日本人にとって)
















ただ、 ネパール は・・・・・・・












10日間の お約束(入国手間が1.5日で帰りも同様なので・・・実働 7日間)








期間に、system setup と How to use を 植え付けて 相手国の





GM からサイン を もらって撤収。
















なのだが








まず。 入国と同時に imigre で 頭にきた。








ひとの スーツケースに チョークでしるしをつけやがった。








OK という 意味で 河岸のマグロにつけるように








あっさりと。











大事そうに この exciting trip のために








購入しただろう ルンルン の ヴイトン の バッグにも








検査済 の マーク を チョークで 「シュッ」 と 








場所も 構わず (いや かまっているんだ








あとで だれが みても 分かる位置) に








シュッ と やってくれちゃう。












西洋人 の オバはん が 猛烈抗議 を








している。








そんなの 関係ネェ。








immigra に いるのは れっきとした








役人だが 黒の ピチっとした 革ジャンに








身を包んだ ひげを蓄えて インテリだと








かってに 思いこんでいる ただの馬鹿野郎だ..












どうも 前置きが 長いか。












書いているうちに いろんなことを 思いだしてきてしまった。