安らかな顔のママ その2 | 水たまりの向こう 

水たまりの向こう 

              

昨日話した、37歳の女性。


今日10時から湯灌だった。


御主人や娘さんたち、そして御親族の見守るなか

粛々と湯灌が行われた。

娘さんたちはママをきれいにしてあげたいっていう気持ちが表れていた。

逆さ水をかけ、それからご洗体を見守っていた。


僕はそのあとのご処置にも立ち会った。


髪もドライヤーで乾かし、お化粧もし、洋服も着た。


とてもきれいになった。


いよいよ納棺の時に御主人と娘さんはしっかりと手をつなぎ御対面。


みんなの瞳から涙が溢れていた。


『きれいになったね!』


湯灌のスタッフも涙ぐんでいた。


そのあと御主人、娘さんたち、それから17名の御親族の手でお体は棺に納められた。


故人はずっとネックレス、ピアス、バングルをしていた。

本当は外さないといけないのだが、そこまでは言えないし言いたくなかった。

内緒でそのままつけてもらった。


それから故人のご友人たちがたくさん訪れた。

異例なことだ。

霊安室の前は長蛇の列となり、対面を済ませた友人たちはみんな涙を流し

しばらくはそこを動くことができなかった。


若くして亡くなるということ・・・・。


寿命と言えばそれまでだが、あまりにも悲しすぎる。


残された人々。


でも僕は思う。


御主人や娘さんたち、遺族はもちろんだが


友人たちも決して彼女のことを忘れないことだ。

気障な言い方かもしれないが、

いつまでも心の中で生き続けること、忘れないことが

何よりの供養になると思う。

忘れてはならないのだ。


ただ悲しいかな、人間は『忘れる生き物』である。


だから悲しみも乗り越えられる。


矛盾した言い方をすれば、忘れても忘れないでいてほしい。