第14回「座・読書倶楽部」は、毎日ワンズから出ている津田左右吉の『明治維新の研究』を取りあげます。津田左右吉と言えば『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の著者ということは、名前しか知らない人でも思いつくのではないでしょうか。年配の方なら、1940年(昭和15)の出版法違反の疑いによる起訴事件を知らない方はいないかもしれません。読書会当日は、『明治維新の研究』に収録されている論考のレポートで忙しく、この起訴事件について詳しく触れることができないと思われるので、以下、簡単に記しておきます。
 よくも悪しくも津田左右吉の名をひろく世間に知らしめたのは、この起訴事件でした。事の起こりは、津田が1939年(明治14)10月、東大法学部に新設された東洋政治思想史講座に、南原繁教授から懇望され出講したことにありました。この間、東大法学部攻撃に躍起となっていた菱田胸喜一派は、問題の人物の出講に、待っていましたとばかり、津田の見解(東洋文化の否認)は東亜新秩序建設の冒涜であると称し、計画的に妨害したのみならず、彼等の機関誌『原理日本』に「津田左右吉氏の大逆思想」を特集号として世論を煽ったのです。当時の東大での様子は、丸山眞男の「ある日の津田博士と私」に詳しく語られています(ドキュメントとして面白く読みました)。
 政府当局もこのような情勢に神経質になり、翌年2月10日、問題として『神代史の研究』、『古事記及日本書紀の研究』『日本上代史の研究』『日本上代の社会及び思想』の四書を発禁処分としました。ついで津田は出版者岩波茂雄とともに、菱田一派の告発により、出版法違反の疑いによって起訴され、不拘束のまま法廷に立つことになったのです。この起訴事件で、同憂の学者たちによる裁判所への上申書が出されています。それは南原繁の筆による説得力ある文章で、末尾には八十九の署名が記されていました(津田左右吉全集第24巻付録に詳細)。また公判では、証人として和辻哲郎が立ちました(和辻哲郎著『黄道』収録「津田左右吉博士事件公判における証言」)。公判は同年11月から翌年にかけて21回開かれ、津田は自己の著述の正当なことを主張し続けました。公判の結果、検事は「今日二於テモ尚ホ十分反省ノ色ヲ示サナイ」ものとし、「情状甚ダ重イモノデアル」として、計八カ月の禁錮を求刑した。
 判決の結果は『古事記及日本書紀の研究』に集中され、崇神・垂仁二朝の存在を仮定して云々と、仲哀天皇以前の皇統譜の不備による存在性への疑惑の二点を出版法違反として禁錮三カ月が宣告されました。しかし津田はこの判決は「記紀の研究そのことを一般的に否認することになり、更にそれのみならず学問的研究そのことを根本的に否認することになる」(上申書)と控訴しましたが、結局うやむやのうちに控訴審が時効期間を経過したため免訴という、結果から見るとまことにお粗末な結末に終わったものでした。
 追加資料としては、『和辻哲郎全集(新版)別巻二』の月報27には、和辻哲郎宛書簡として、津田左右吉から公判に立つ和辻への手紙が複数収録されており、とても興味深いものです。また同巻には、みずず書房の『現代史資料42 思想統制』所収の「津田左右吉外一名に対する出版法違反被告事件公判速記録」を底本とした和辻の証言(「津田左右吉事件公判における証言」)が収録されています。解題は米谷匡史氏が担当されています。
 以上が起訴事件の大まかな流れであり、より深く知りたい方への参考資料なども記しておきました。さて、いよいよ津田左右吉が戦後に書いた論考を集めた、「王政復古」維新をクーデターとみる『明治維新の研究』をレポートする日が近づいてまいりました。どのようなレポートになるか私自身、いまだ皆目見当もつきませんが、みなさんに当日リアル・ZOOMでお会いできるのを心より楽しみにしております。

日  時:2024年4月20日(土)14時から17時まで(その後交流会有)
テキスト:津田左右吉著『明治維新の研究』毎日ワンズ
レポート:北野 辰一
会  場:北野宅(阪急今津線「阪神国道駅」下車、徒歩3分)