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寒い時期にジョギングをしているというと

大変だねと声をかけられることがある。


近頃、”大変”ということばには

よくやるね、自分は嫌だねという

意味が込められているように感じるのは気のせいだろうか。


人類の歴史は大変なことをいかに簡単に行うかということの歴史でもあるように思うのだが、簡単に、楽に行えるようになって便利な反面失っていることもまたあるように感じる。


あまりいい言葉ではないが、”バーチャル野郎”ということばがある。

それはなんでもバーチャル、つまり疑似体験だけで済ませてしまう人のことを指す。



あなたのまわりにこんなひとはいないだろうか。

あることを話すと”ああそれ知ってる”、テレビで見たよ、友達が言っていたよ、と人の話もろくすっぽ聞かずにすべてをわかったように思っているひと。



ネットやテレビなどのメディア、または友人知人からの話ですべてを理解したように思っているひと。




人生の生き方は2つあると思う。

テニスの試合に例えるとプレーヤーとして試合をするという生き方と観客席で観戦をするという生き方



バーチャル野郎とは観客席から眺めただけでテニスをしたような気持ちになっているが、実際にはテニスについて何もわかっていない。



”百聞は一見にしかず”という格言は何度繰り返し聞いても一度でも実際に見ることには及ばない、何事も自分の目で見て確かめるべきだという教えである。


ジョギングの話に戻るとジョギングをすることは大変どころか私にとっては大好きでたまらないことのひとつである。


春や秋のいい季節はもちろんのこと冬は冬で冷えた空気が頬を撫でる感覚や空気が澄んでいるので夜景や星空が綺麗に見えたりする。


夏はたっぷり爽やかな汗をかいたあと浴びるシャワーは格別だ。


運動をすると味覚が鋭くなると科学的に証明がされているが、なにより食事がとても美味しく感じられる。

意外なことに手の込んだ料理よりも納豆とご飯というようなシンプルなものがとくに美味しく感じられるのは不思議だ。




大変と言われることも実際には自分の感じ方次第。”大変”ということばを聞いて避けて通ることはなんとももったいないことのように思う。




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バリアフリーの住宅や施設は

段差などがなくてお年寄りには

快適のようだ。


高齢の祖母を介護していた

義理の母から聞いた話だが、

バリアフリー住宅に慣れ過ぎると

僅かな段差でもつまずいて

しまうことがあるという。


だから老後のためにと元気なときから

バリアフリーの住宅に住むことは

避けた方がよいという意見を

耳にするのも頷ける。


わたしの家の近所に

大きなお寺があるのだが

境内に行くには

かなり急な階段を上がって

行かねばならない。

定期的にジョグングをする私でさえ

下から一気に階段を上がると

足がパンパンで息も切れるほどの

石段なので高齢者の方には

かなりきついはずである。



四国のお遍路さんや

キリスト教の聖地

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

など決して楽な距離ではない巡礼路を

歩いてお参りをする意味は

人間の体には常に負荷をかけることで

健康が維持されるようになっていることを

昔の人は知っていたように思える。

いろいろな意味で

自分の足で歩くこと

それが大切だ。





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チューリップで有名なオランダには、”パンをふたつ買うお金があれば、パンと花を買う”ということばがある。

動物の中で”余暇”を楽しむことができるのは、人間だけである。

ひとはパンのだけのためには生きられないといいますが、旅でもちょっと脇道にそれたところでつくった思い出が一番心に残っていることがある。

効率性重視の世の中では、限られた時間で効率よく観光地を回れるように旅程が組まれている。

寄り道や回り道はいわばタブーであるが、人がパンだけのために生きられないとすれば、寄り道や回り道にこそ醍醐味が隠れているように思う。