フラナリー・オコナーはこう言った。「私は自分が知っていることを発見するために、書くのだ。」

人間はやっぱり手を動かして何かを考えると動物なのではないかと思う。最近は勉強方法でもインプットとともにアウトプットが重要視されているように、自分の中に入ってきたものを文章や言葉に変えてみてはじめて、何が自分の中に入ってきたかに気がつくのではないかと思う。
先のフラナリー・オコナーの言葉はそのことを表しているように思う。

とりあえず何かテーマを決めて書きはじめると、こんなことを自分が考えているのかということに気がつくことが多くある。

一方で、日常の中で感じたことをあとで文章に書き起こそうと思うのだけれど、いざ文章にしようと思うと一体それが何であったか思い出せないことがある。
つまり、日常の中で私自身、色々と感じ、発見をしているけれど、それを記憶していないようだ。

そう考えると毎日特別な出来事がない限り発見も感動ものなかったように錯覚しているだけかもしれないと思えてくる。

道ばたに咲く花を綺麗だなと感じたりすることは小さなことであるが、「綺麗だな」と感じたということが前日にはなかったとしたらなら、立派にきょうの出来事のひとつになる。

人間は日々の暮らしの中で、様々な情報が入ってくるなかで私たちは無意識に取捨選択をしているから情報で頭がパンクしない。
しかし、その反面で大切な情報が捨てられているのかもしれない。
だからこそ、文章を書くことで捨てられそうになった大切な情報を救ってあげることができると思う。しるt