総務常任委員会管外調査で南三陸町を視察。津波で流された防災対策庁舎前にて、当時最後まで住民の高台避難を呼びかけ津波にのまれた遠藤未希さんと共に働いていた職員の方の話しを聞く。自らも屋上で津波にさらわれ、濁流のなかを偶然流れてきた畳につかまり、あの辺りまで流されたと指をさされたその場所は、はるか先でえっえぇと声も出なかった。そこから引き波で海に近い病院の三階辺りで引っかかり、九死に一生を得たと淡々と説明された。しかし、多くの仲間が目の前で流され姿が見えなくなった…と、その当時は毎日仲間の事を思い、涙は毎日枯れるぐらいまで流したと我々に説明をされた。その仲間の為にも必ず復興を果たす、という強い意志が一言一言に感じられる重い説明であった。この庁舎を残すか残さないか意見が真っ二つのようで、遺族の方々の意見を尊重したいと言われたが、本音は残したいとポツリ、自身にとっては言葉に出来ない辛い記憶であるが、犠牲になった人々の事をいつまでも、次の時代の人々にも忘れて欲しくないという思いであろう。