法華経寿量品は日蓮大聖人を信じる者にとっては重要な部分だ。
創禍はその長行部分の読誦をやめて久しい。自我偈と言われる部分しかしていない様だ。
以前は四十分はかかる勤行をしていたが、五分か十分ですみそうだ。
因みに長行は「じょうごう」と読むのが本来らしい。
日蓮大聖人は開目抄において、
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」とされる。
この「文の底」とはどの部分かについて、日寛上人は「我本行菩薩道」とされる。つまり、長行の部分である。つまり、創禍は中心部分を捨てたのだ。
池田はよほど勤行が辛かったらしい。ほとんど、していなかったとも聞くが、真偽は知らない。
ただ、御本尊に向かい長行を唱えている時の湧き上がる喜びは知らない様だ。