YouTubeの質問④天台の五時八教は間違っている | kitani1のブログ

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天台大師の教説を妙楽大師が五時八教と名付けたものらしい。

五時は華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時と五つの段階に釈尊の説法があったとする。無量義経・法華経から明らかとする。

仏教学者はお経典は後で作れると考えて、証拠ないとしているようだ。

そもそも、その論点が間違っている。

 

釈尊は悟りを得た、という前提に考えるべきだ。

阿含経等の爾前経には矛盾がある。

・釈尊は有無の考えを否定して因縁・空を示した。

・悟りと生まれ変わらない、とする。

この二つは矛盾する。全ての衆生が悟ると無の世界になるからだ。究極の世界が無であるはずがない。

この矛盾を解決したのが法華経寿量品だ。悟った後も凡夫として生まれ、悟りを開き涅槃する、を数えきれないほど繰り返してきた、と初めて説いている。

寿量品を悟っていた、を前提に考えれば、50年の説法で示す事が出来なかった、とはならない。

現代のポンコツ仏教学者相手ではない。当時の天才たち相手である。経典をいくつも丸暗記した時代だ。

 

阿含経は但空(単に空を示す。析空とも言う)

方等部は不但空(諸法は空であるとする体空)

般若経は但中(仮名・仮と空にとらわれない中道・中を説く)

華厳経は不但中であり、空仮中の三諦は円融しているが心が造るとする

法華経は円融三諦であり、心に具わるとする

阿含、方等…と説かずにいきなり円融三諦では衆生の理解が追いつかない。

ちなみに無量義経では

「初め四諦を説いて声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天来下して法を聴いて菩提心を発し、中ごろ処処に於いて、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生菩提心を発し、或は声聞に住しき。次ぎに方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて…」となっている。

阿含、方等、般若、華厳の順である。

法華経では「我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 三七日(二十一日)の中に於いて 是の如き事を思惟しき」となっていて、この思惟が華厳の部分である。成道後、華厳経は衆生には説いていない。無量義経では法華経を説く前にあらためて説いたとなっている。

例えば般若時でも、初心者には阿含経や方等部から説いたと想像する。あまり、厳密に考えない方がいいと思う。