大乗非仏説に対する反論を改めて書く | kitani1のブログ

kitani1のブログ

ブログの説明を入力します。

大乗仏経典が釈尊の教えであると仮定しても何ら問題ありません。
Q南伝仏教には大乗教がないのはなぜ?
Aよくある事、声の大きい人がいれば、少数派の意見はなかった事になる。
例えば、キリスト教が起こって、地動説が消えていった。

Q小乗経より大乗経の方が文字化が遅いのはなぜ?
A小乗教は古代インドの人々に受け入れやすいため、小乗教がまず広まった。
A単純な教えのため異論が少なく、小乗経典の方が文字化しやすかった。
A専ら口伝を重んじていた。法顕の時代も口伝が中心。
Aごっちゃにならないように、わざと遅らせた。文字化の遅い大日経などはごっちゃになっている。

Q初期小乗教の論に大乗教批判がないのはなぜ?
A小乗教派と大乗教派が常に対立関係にあったと思い込んでいるが、そうではない方が妥当。最大の対立は土着信仰。むしろ釈尊入滅後大乗経と友好関係にあったとも考えられる。

Q大乗教の論等で経典結集の様子がないのはなぜ?
A常に対立関係にあったという思い込みから起こる誤解。大乗教派は改めて結集の様子を示す必要がなかった。

Q大乗経典は言葉が新しすぎる。
A古い言葉では伝えにくいものだ。文字化するときに伝わる言葉を選ぶのは通常行われている事。平家物語は原文でなかなか読めない。多くの人に読ますには現代文にする。ましては、複雑な仏教用語である。新しく伝えやすい言葉が発明されたらそれを使う事が通常だ。

Q大乗経典は文字化がかなり時間が立ってからなのはなぜ?
A道元等の伝記も二百年後に初めてつくられている。文字化が一般的な時代ですら二百年後だ。不思議な話ではない。

インドでは、仏教はイスラム教等によってほとんど破壊され、わずかな資料しか残っていません。
支那も戦乱が続き、多くの経典が失われました。日本に経典を求めたそうです。
その日本も、比叡山の焼き討ち等でなくなったものが多くあったようです。
(日本の複数の論文で引用されている元資料には同じ言葉がなかったりしています)
わずかな資料で想像すると、間違った思い込みが入り混みます。

むしろ、無量義経・法華経方便品などから考えて、
釈尊五十年の説法は次の順序で説かれたと考えます。
華厳経(三七日の思索)
阿含経
方等経
般若経
華厳経(華厳経を言葉として説く)
法華経
涅槃経

内容を見ても、諸法実相の観点から見れば、
小乗経は「我空法有」
大日経等の方等部は「我空法空」(大日経は「諸法は虚空」)
般若経は「空から仮を導き、空・仮から中道(中)を見いだす」
華厳経は「仏法・心法・衆生法に差別無し」と一部の円融
法華経は「空仮中の円融」
と全く符合しています。

末法のつたない学者の考えは、すべてを包括していないと断定できます。


無量義経
「善男子、初め四諦を説いて声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天来下して法を聴いて菩提心を発し、中ごろ処処に於いて、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生菩提心を発し、或は声聞に住しき。
次ぎに方等十二部経、摩訶般若、華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、而も百千の比丘、万億の人天、無量の衆生、須陀、斯陀含、阿那含、阿羅漢果、辟支仏、因縁の法の中に住することを得」

法華経方便品
「我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき 我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり
衆生の諸根鈍にして 楽に著し癡に盲いられたり 斯の如きの等類 云何がして度す可きと
爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釈 護世四天王 及び大自在天 並びに余の諸の天衆 眷属百千万 恭敬合掌し礼して 我に転法輪を請ず
我即ち自ら思惟すらく 若し但仏乗を讃めば 衆生苦に没在し 是の法を信ずること能わじ 法を破して信ぜざるが故に 三悪道に堕ちなん 我寧ろ法を説かずとも 疾く涅槃にや入りなん
尋いで過去の仏の 所行の方便力を念うに 我が今得る所の道も 亦応に三乗と説くべし」