大御本尊の所住が事の戒壇である文証② 戒壇御説法 日応・日開上人 | kitani1のブログ

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浅井氏は次の文から、事の戒壇とは広宣流布の暁に建立するものと説明する。
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六十世日開上人の御宝蔵説法本であった。細井管長が引用した前後の文を拝見すれば、文意は明白であった。
 「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光土にして……」とある。
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しかし、日開上人のお言葉をよく読むと「又其の戒壇堂」で文が別れている。「又(また)」は別の観点を示すときに使う。
例えば「彼は私の息子です。また、私の生徒です」

 

さらに「今眼前に」とあり、現在の状態の説明している。将来つまり、広宣流布の時と現在を比較していることがはっきりわかる。

 

つまり、この戒壇御説法は、「今」、事の戒壇は存在している事を示している。