末法の宗教13 法華経の予言 | kitani1のブログ

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  末法の法華経弘通の事を法華経には説かれている。

 末法に法華経が弘まることは

「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於て断絶せしむること無けん」薬王品539

と示される。

また、末法の法華経弘通の人は神力品において、

上行菩薩に対して、「嘱累の為」と「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事」513の付嘱を明らかにされている。

 少し分かりにくいが、「嘱」は付嘱、「累」はわずらわす、言い直せば苦労をかけるである。要するに如来の一切を上行菩薩に付嘱されたこと示している。

 

しかし、これだけだと、一体誰が上行菩薩なのかわからない。最近の新興宗教をみていると「私は悟った」「宇宙最高の神」等々適当に言えている。

 

 そのため、法華経では勧持品が用意されている。勧持品にはいわゆる二十行の偈と呼ばれるものがある。ここには末法で法華経を弘める人に降りかかる法難が示されている。

三類の強敵とよばれる人たちから「悪口罵詈、刀杖」の難を受けるとされる。

また、権力者に対して、「この人邪見の人、外道の論議を説く」と誹謗される。とある。されに、「度々の流罪」がある。

 

日蓮大聖人への法難は数多くある。特に「龍ノ口の頚の座」「伊豆流罪」「佐渡流罪」は幕府最高権力者からの法難だ。これらをもって、日蓮大聖人こそ、法華経の予言通りの法華経の行者の証明とされている。