報恩抄「本門の教主釈尊」の本意は? | kitani1のブログ

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報恩抄「本門の教主釈尊」の本意は?

 

法華取要抄の「本門に於て二の心有り」734
という言葉があります。


つまり「本門の教主釈尊」には二の意味がある事になります。
この「本門」はどちらの本門ですか。

 

開目抄には、この事を「文の底」526とされています。
文上、文底の本門がある事がわかります。


観心本尊抄には、「本門十四品の一経に序正流通有り」655
とされたすぐ後もう一つの本門と「又本門に於ても序正流通有り」655
とされて、「二の意味」を示されています。
「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」656と脱益・下種益の違いを明確に示されています。

現実に「南無妙法蓮華経」を弘められているのは日蓮大聖人です。「此(は)」は日蓮大聖人だとわかります。


そのように理解してみると「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」653も違って読めます。

 

報恩抄の続きは以下の通りです。
「所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」1036
つまり、経文の上に示されている釈尊は、御本尊の御相貌を拝見すれば、脇士として認(したた)められています。

この「本門の教主釈尊」は、文底下種の教主日蓮大聖人です。
御本尊の御相貌「南無妙法蓮華経 日蓮」とお認めの通りです。

また、諸法実相抄の
「是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。されば釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ。経に云はく「如来秘密神通之力」是なり。如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」665
つまり、
「妙法蓮華経こそ本仏」「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」
と全く合致しています。