顕正会との対論⑥ 議論は平行線 | kitani1のブログ

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平行線になるのは、御書によらないため。

御書を出すように言おう。

 

浅井氏の己義は御書では読めない。

「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事」1885

「之」はもちろん「己義」だが、顕正会は「時の貫首」と読む。

私には「浅井会長」とも読める。

いろいろ読めると言うことだ。また、「用ふべからざる」とある。

 

時の貫首の「己義」とは何か尋ねよう。御書を通しての説明を求めよう。

 

しかし、己義に対しては

「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」1885

「用ふべからざる」ではなく、「摧くべき」とある。積極性が違う。

 

また、

「当門流に於ては御抄を心肝に染め『極理を師伝』」1884

「論議講説等を好み自余を交ゆべからざる事」1884

 

「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、『代代の聖人悉く日蓮なり』と申す意なり」御本尊七箇之相承(聖典379)

等々と相承・師伝の姿を示されている。