日蓮宗は、日蓮正宗に対していろいろ行ってくるときもあるが、
唯授一人の相伝は認める事はできない。
しかし、不相伝のため開目抄、観心本尊抄が読めない。
その例をあげよう。
開目抄「本門寿量品の文の底」526
「文の底(文底)」になにが説かれているか答える事ができない。
観心本尊抄に「本門の序分・正宗分・流通分」を二種類上がられている。
その二つ目の「本門に於ても序正流通有り」655
なぜ、本門が二度あげられているか、理解不能。
観心本尊抄「我が内証の寿量品」657
これも意味不明である。
ちなみに、相伝を除くと
「文底」「内証の寿量品」と説かれている文はこれ以外に存在しない。
大切なものなら何度も出てきてもよいと考える向きもあるが、肝心の部分は何度も示されていない。