法華経方便品に十界互具が示されている。
迷いの九界の因から覚りの仏界の果が、方便品の「十如是」「開仏知見」から示された。
しかし、本当に仏界に九界が具わっている事を示しているのだろうか。
つまり、
「九界に仏界が具わる」が
「仏界に九界が具わる」と言える?
理論上、方便品の「十如是」「開仏知見」に、仏界に九界が具わる事は考えることはできそうだ。
しかし、具体的なものはない。
ではどこにあるのかといえば、法華経寿量品にある。
「久遠の昔に成道した釈尊が、この世に生まれ、修行し、仏の智慧を開いた」
この事から、智慧の仏である報身の久遠を示されたことがわかる。
この報身の久遠を説いた経典はないそうだ。
また、一般の仏教学者は、「報身の久遠」とは読めず、「法身の久遠」ととらえているようだ。
前世において、覚りを得た釈尊が、この世に九界の凡夫として生まれた事から、仏界即九界が読み取れる。
法華経を正しく読む事は、一般の仏教学者には無理な気がする。