法華経の矛盾「説かないと慳貪」、「無闇に説くと地獄へ堕とす」 | kitani1のブログ

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法華経方便品に「法華経を説かないと慳貪(けんどん)の堕(だ)せん」(趣意110)

しかし譬喩品には「我見を計(け)する者には、此の経を説く莫(なか)れ」(175)


この矛盾をどのようにとらえるか。

折伏を批判知る人は、譬喩品をもって「折伏はおかしい」という。

しかし、法華経を説かないと慳貪の咎(とが)とある。


「折伏はおかしい」という人は、この矛盾をどのように捉(とら)えるのだろう。

きっと、矛盾は気にならないのだろう。


「中国は攻めてこない」という人に、

「中国の戦拡はどうして?」

「チベットは?」「内モンゴルは?」「ウイグルは?」「南シナ海は?」「尖閣は?」と言っても、考えることない。


「慳貪の咎」に陥らないためにはどのようにすべきか、問うとよいのかもしれない。