末法思想は法華経の「我常にこの娑婆世界に在って説法教化す」に反する? | kitani1のブログ

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末法思想とは、釈尊の教えが滅びる時代だ。

これは、法華経の「われ常に此の娑婆世界にあって、説法教化する」に反していないかという質問があった。


次のように回答した。


釈尊御入滅後、正法時代、像法時代において、釈尊の御化導は、残された経典によります。経典による「成住此説法」です。


これにより、釈尊と因縁のある衆生は成仏をしていきました。
しかし、末法に入って、釈尊との因縁のない衆生は、この釈尊の説いた経典によっては成仏できません。末法は、経の存在はあっても、成仏がない時代です。


しかし、方便品に

「仏の滅度の後に、是の如き等の経を、受持し、読誦し、(中略)若し余仏に遇わば、此の法の中に於て、便ち決了することを得ん」
とあります。

つまり、「末法に仏に遇って成仏する」とあります。


神力品において、末法の弘通を上行菩薩に付嘱されます。

法華経の予言通り、上行菩薩の御出現と末法の法華経の弘通がありました。
そういった意味での「成住此説法」と拝せるかもしれません。