浅井会長は、日蓮大聖人が顕された「本門戒壇の大御本尊」への内拝を否定している。
しかし浅井氏の父は
「内拝を賜ることは、幸いこれに過ぐるものはありません」(「冨士」昭和46年9月号)
『顕正会・試練と忍従の歴史』には
「およそ御開扉を断絶される事は正宗信徒として死ねと云うことであります」
日寛上人は
「「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義・富要十巻131頁)