トルコのイスラム教徒は結構、世俗主義といわれている。
イスラム教の場合は、世俗主義の反対の言葉として、原理主義が上がるようだ。
原理主義といえば
キリスト教原理主義という言葉が最初だったと聞いた事がある。
どの様の原理主義を定義しているかは知らないが、
社会の変化にあわさずに、2000年前の教えを貫こうとしているというイメージがある。
イスラム教の初期は、結構周囲にあわせるように、ムハンマドは教えを弘めたのではないかと想像している。
しかし、コーランを翻訳もせず、神の言葉として、そのまま使っている事から考えれば、結構、原理主義の面が強うように思う。
文化の発展、異民族との交流から、コーランの中には、時代にそぐわない言葉も多くあるのではないだろうか。臨機応変に解釈を変えていってほしいと考える。
元々の融和的なイスラム教(私の想像でしか無いが)であってほしい。
イスラム原理主義は現在にはミスマッチと思う。
イスラム教の融和的な反面、ムハンマドは、ある時点から、キャラバンから強奪をし、力がつけば、メッカに攻め込んでいる。
イスラム教を紹介する本には、当時では普通のこととして、書いてあるが、仏教徒から言えば、当時としてもあり得ない行動だ。
宗教にはよい面が多くある。しかし、悪い面があれば、いつかそれが姿を現す。
そういった意味で考えれば、法華経のような円教こそ、人を本当に救う教えと考える。