パンフ 親鸞について | kitani1のブログ

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浄土真宗開祖「親鸞」のパンフレットのテキスト


【親鸞の臨終のようすと不審】
 浄土真宗の開祖「親鸞」の死ぬときのようすを一般に次のように紹介されています。
「親鸞聖人は弘長二年十一月の下旬頃からいささか体調を崩していらっしゃいました。それからというもの、世間話はなさらずただ仏の慈悲の深いことばかりを仰っていらっしゃいました。声に出るものは他の言葉ではなく、もっぱら称名念仏絶えることがありませんでした。そのようにして、二十八日の昼頃、かねて臨終近しとて釈尊や恩師法然上人にならい、頭を北に顔を西に右脇を下にして横たわっていらっしゃったところ、ついに念仏の息が絶え終わったことでした。(親鸞の曾孫に当たる覚如の書いた『御伝鈔』より)」
しかし、ここに不審があります。親鸞の妻・恵信尼から親鸞の娘・覚信尼への手紙です。
「臨終の様子はどうであっても、極楽への往生(生まれること)は疑いないことです。」
 親鸞の娘が、親鸞は「あんな死に方をしたけど本当に往生できたのだろうか。」と母(親鸞の妻・恵信尼)に不審を投げかけたことに対する返答と考えられています。覚如が示す親鸞の死から不審をいだく必要は感じられません。覚信尼の不審を、浄土真宗の人たちは、覚信尼が往生とは「美しい光・むらさきの雲・妙なる音楽・不思議な芳香というものが極楽往生を遂げる時に現れる。」と考えていたからだとしています。
 しかし、手紙の中頃は親鸞の見た夢の話・二題が長々書かれています。その夢によると、親鸞は仏様から認められた特別の人としています。恵信尼は覚信尼の不審を晴らすために親鸞は特別な人だと強調する必要があったのです。
 このとき覚信尼は五十歳を超えています。多くの死を見てきているはずです。また、親鸞自身は「菩薩来迎は自力であり、他力には来迎はない。」と奇瑞を否定する書簡(建長3年9月20日)を弟子に送っています。これは親鸞の弟子に対して、信徒の死に際に対する不審を晴らすために書かれたものだと考えられます。そこには根拠は示されていません。また、死に際の「善し悪しを考えるべきでない(文応元年11月13日書簡)」としています。そこにも根拠となる経は示されていません。「死に際の善し悪しについて言うべきではない」と覚信尼も、聞いていたと十分考えられます。覚如の書き残した通りの死に際ならば、別の返答が返ってくるのが自然です。ところが恵信尼は覚信尼の不審はなかなか晴らすことができないと考えて、返書を書いたと考えられます。
 ではどのような臨終だったのか。これについては資料が残っていないようです。しかし、親鸞が書いた手紙の中には信者で狂い死んだ人について書かれたもの(?年9月2日書簡)もあります。親鸞が狂乱のようすで死んだかどうかは知ることはできませんが、よほどの姿だったと考えられます。


【親鸞の人物像】
 親鸞はどんな人物だったのでしょうか、歎異抄(弟子唯円が親鸞が日頃言っていた事を書き残したもの)等で読み解いてみます。


 <開き直り発言>
「例え、法然聖人にだまされて念仏で地獄へ堕ちても後悔しない」
 念仏は無間地獄の因という日蓮大聖人の門下に対しての言葉でしょうか。
「法華宗の人にどのように言われても『わたしのような下根の器量なら念仏が最上の教えです』と答えなさい。」
 これもやはり大聖人門下に対する言葉でしょうか。仏教である以上、お釈迦様の説かれた経典が中心なのですが根拠となる経文は示されていません。法華経には他の経典では成仏しないと言われていた二乗と呼ばれる人々や女人・悪人の成仏が説かれています。親鸞の言葉とは逆です。

あるとき唯円が「念仏を唱えても歓喜が湧かない」
と質問すると意表を突くように、親鸞は次のように発言します。「実はこの親鸞も同じ疑問を持っているんだ。歓喜が湧かないからこそ大丈夫だよ。かえって阿弥陀様が助けてくださる。」根拠が分かりません。ただ、念仏をどんなに唱えても、歓喜の心がわかない教えだとは分かります。
 この三つの文はいずれも根拠がありません。開き直りの言葉です。開き直りは勝ち負けを競うときは有効なのかもしれませんが、仏法を学ぶ正しい姿ではありません。


 <因果の否定>
 さらに次のように仏教の根本である因果も否定します。
「念仏が最高の善であるから、悪行を恐れなくてもよい。」あるいは「善人が往生できるなら当然悪人も往生できる。」これを世の中の学者はすばらしい考えだと賞賛します。しかし、人に注目をあびるためのキャッチコピーにすぎません。もし正しいのなら同じ意味を示す経典があるはずですが、示されていません。
 また、「善行を積もう、悪行を避けようと考えるのは阿弥陀様を信じない自分勝手な考えが入っている。」とします。これらは因果の否定にあたります。仏法ではなく、因果がわからないいわゆる外道の考えです。


 <経文では善行を勧める>
しかし、お釈迦様はどのように説かれているのでしょうか。念仏の経文には次のように説かれています。
「阿弥陀経」では
「若し善男子、善女人ありて・・(善行を行う男女)」
「無量寿経(双観経)」では
 前半では五逆(悪業の行い)と正法誹謗の人は救わないことを示しています。「すべての人を救おうを決意しているが、唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」また、後半では悪を制して、善行を勧めています。

「観無量寿経(観経)」では
「不善業たる五逆・十悪を作りる衆生があって、このままでは長い間苦しむので、臨終の時に善知識と妙法が必要だからこれを教えよう。(ただし、正法誹謗の人は救わない)」と説かれています。


 <恩への無理解>
 恩もわかっていないようです。「父母のために念仏を唱えたことがない。いずれ成仏したら一切の生物は助ける。そのとき父母も助かるので必要がない。」とします。一見「人類愛」のように聞こえますが不知恩の姿です。また師弟に関しても否定しています。「念仏を唱えることが大切であって師弟関係をとやかく言ってはいけない。」師の恩をないがしろにする考えです。


<親鸞の結婚と言い訳>
 当時僧侶は結婚が許されていませんでしたが、親鸞は結婚し子どもをもうけます。この子孫が小さかった教団を現在のような巨大な浄土真宗に作り上げます。

 親鸞は女性を口説くため、夢の話を持ち出します。「観世音菩薩(聖徳太子)が夢に現れて私の結婚を許した。」としています。
 現在の学者は夢の多くは願望や不安を、形を変えて見るとしています。このときの親鸞の願望がよく分かります。決して現代において僧侶の結婚を否定するわけではありません。しかし、当時の僧侶が女を口説くいいわけに使われた観世音菩薩もさぞビックリしたことでしょう。また、自身を非僧非俗の身分とします。僧侶として布施をもらい、俗人として結婚できる都合のよい身分です。
 親鸞は、流罪地で還俗させられ、俗人の名前をつけられますが、反発して自ら「愚禿(ぐとく)」と名のることにします。また、自己の自慢話の中に、法然の他の弟子を揶揄したりしています。


 これらのことから攻撃性が高く、都合が悪ければ開き直る人物と感じられます。浄土真宗を信じる人はこの親鸞の性格(攻撃性と開き直り)と地獄の死にざまが待っています。なぜなら、念仏宗は、正法たる法華経を誹謗しています。「法華経は千人が信じて一人も助からない。念仏こそが救われる法だ(法然の選択集)。」が根本となってできた宗派だからです。法華経には「法華経は最上の教えであり、この法華経を誹謗する者は無間地獄へ落ちる。」と説かれています。親鸞を信じるものには無間地獄が待っているのです。