日蓮宗 日蓮宗の破折パンフを頼まれたので | kitani1のブログ

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日蓮宗の破折パンフを頼まれ、書いてみた。

A4紙に冊子印刷で両面印刷で造っているが、テキストだけを投稿しておく。


日蓮宗

南無妙法蓮華経はどれも同じ?


【日蓮宗】
 日蓮宗を名乗る宗派多くあります。これらの特徴はすべて、「南無妙法蓮華経」と唱え、日蓮大聖人を宗祖とする宗派です。拝む対称の本尊はいろいろあるようです。「釈尊像」「鬼子母神」「南無妙法蓮華経の板と釈尊・多宝如来」等々様々存在します。
 この宗派が唱える「南無妙法蓮華経」もすべて同じと言えるのでしょうか。
 日蓮大聖人は本尊に関して、
「本尊は優れたものを用いなさい」「諸宗は本尊に迷っている」とされています。まさに本尊に迷う日蓮宗を感じます。
また、信仰には
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と信仰には筋目がある事を示され、
さらに
「かかる日蓮を用ひるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」と同じ法華経を信じても、誤った信仰もある事を示されています。

では日蓮大聖人はどのように信仰すべきとされているのでしょうか。


【相伝】
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」と、文章に書かれている事だけだと間違った判断する、とされています。
また、「問うて曰く、要法の経文如何。答へて曰く、口伝を以て之を伝へん」と、仏法はきちんとした口伝・相伝によると示されています。

その口伝・相伝はどのようにあるかといえば、
「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり」とただ一人への秘伝である、とされます。
つまり、「南無妙法蓮華経」は、ただ一人に正しく相伝される、とされている。その相承・相伝にしたがって「南無妙法蓮華経」と唱える事が大切になります。


【日蓮大聖人の相伝の所在】
 日蓮大聖人は「六老僧」という六人の中心的な方を定められました。日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持です。
 その中で日興上人に唯授一人の相承された事は、『身延相承書』『池上相承書』に明らかであり、日蓮大聖人が法主として暮らされた身延山久遠寺に貫主として住まわれたことでも明らかです。しかし、久遠寺には他の五人の僧(五老僧)は、日蓮大聖人の百か日忌以後、三回忌になっても訪れていません。


【日興上人身延山離山】
 身延山久遠寺に参詣しなくなった五老僧の姿を憂(うれ)えられた日興上人は、五老僧に参詣をうなされました。この事を契機に五老僧の一人日向が身延山に登山してきました。しかし、この日向は、身延山の地頭と結託して、日蓮大聖人の仏法に違背するようになったため、日蓮大聖人の御遺言の「地頭が仏法に違背したなら、私は住まない」とある事から、身延山を多くの弟子を連れられて、離山されました。このとき、御遺骨を含め、多くの重宝を奉携されています。
 現在は相承・相伝を含め、多くの重宝も大石寺にあります。日興上人の去った身延山久遠寺は時の権力者と結びつくことによって大きな力を持つことになりますが、大聖人の精神は存在しません。そのことは鬼子母神を拝んだり、釈尊像を拝んだりと本尊形式が一定していない事からも分かります。


【正しい本尊】
 日蓮大聖人の『三沢抄』というお手紙に「さどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ」とあります。つまり、大聖人の御法門にも本意と方便がある事を示されています。釈尊像を拝んできたのは方便で、今、書き示した曼陀羅(まんだら)本尊こそ私の本意で、あり釈尊より付嘱された法門である、とされています。
 また、唯授一人の相承においても、大石寺御安置の大御本尊こそ、根本に尊崇する本尊である事が示されています。
 日蓮宗はこの御本尊を尊崇することができず、誹謗を繰り返しています。また、でたらめに本尊を拝んでいます。日蓮大聖人は、
 「正しくない本尊・正しく開眼されていない本尊には、鬼神が入り込み拝む人の命、福徳を奪う」とされています。


【間違った本尊による果報】
 日蓮宗は正しい仏法に似せているだけに罪が重いといえます。
 日蓮宗の家に生まれた人は、非常に頑固で、また、前と後とで言うことが正反対、という人が多いです。さらに喘息(ぜんそく)になる人も多いです。
 さらに、不慮(ふりょ)の災難で、死ななくてもよいところで命を落とす人とか、悲惨な末路となる例が多いです。