仏教ではいわゆる霊魂を否定しいるが、幽霊はどうなっているのだろう。
これについては日蓮大聖人の御書で見たことがない。
しかし、現実には不思議な体験をしている人がいる。
硫黄島や回天の島では通常的に出るらしい。
霊魂の否定は「命は因縁縁起によって存在する」と考えると、死後意志を持って行動する霊魂はいないことになる。
私たちの心に十界が存在すると仏教では説く。
同じようにこの国土に十界が存在することになる。
そこに住む衆生がいるそうだ。私たちに見えているのは、人界あるいは畜生界だ。
地獄界の衆生は地獄界を見ている。餓鬼界の衆生は餓鬼界を見ている。天界の衆生は天上界を見ている。
私たちの心が感応するとその世界の一部をみる。
死後、十界のどれかの世界に生まれ変わることになる。
それが地獄界かもしれないし、人界かもしれない。
地獄界・餓鬼界・修羅界・天上界へ化生(けしょう)として生まれる。
これらの世界にいる衆生にも通力を持っているものもいる。
これは、人であっても、動物であっても同じだ。
地獄界で苦しむ衆生の通力が人間界に影響することもあると考えられる。
逆に、人間界の衆生の心の地獄が地獄界を見せることもあろう。
その影響が、いわゆる幽霊をいえるかもしれない。
ただ、幽霊も因縁によって現れている。私の知識では断言できないが、浮遊した幽霊がいるとは考えないようだ。
いわゆる霊魂と違うのはくどいが、「命」は因縁としての存在である。
実体があるようで、実体がない、宇宙法界と融け合った存在である。
と考えればよいのかもしれない。