以前にも書いたけど、「涅槃経は如来蔵経に影響されてできた」と考えているようだ。
「二つを比べた結果同じ言葉が使われている」
これで影響について論じているようだ。「バラモン教の影響を受けた」も同じようなものだろう。時間ができたら調べて見たい。
同じ言葉を一生懸命に探す姿は、「ウォーリーを探せ」だ。
所詮、学者は言葉に反応するだけで、言葉が示している「義」は理解できないらしい。
経典を読むときは、十界の誰に対して説かれているかを読んでおく必要がある。全ての衆生の成仏を説かれている経典は、法華経だけだ。
また、私に間違いあるとの指摘に対して、間違いでないことを証明しても返答がない。理解できたのか理解できていないのか分からないまま、別の質問になる。キャッチボールができないらしい。
最後に「それは天台の解釈」「日蓮の解釈」だと決めつける。
私自身は天台大師の解釈で説明していた。日蓮大聖人の法門は、一般に急に受け入れがたいと考えたためだ。
誰の解釈であろうと、どのように間違っているのかを明らかにせずにレッテルを貼っているだけだ。これが学者の逃げ口上だ。
あらゆる経典に矛盾なく解釈するためには、法華経を中心に据えていないと不可能だ。ただ、学者は多くの経典は、後世の仏教徒が作り出したと考えているため、矛盾を感じない。
矛盾と整合を理解させる研究が必要と考えた。