大乗非仏説⑯ 「空」に執着し、実体が理解できない学者。学者失格? | kitani1のブログ

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今あると思われている物質、振る舞い等が「仮」だ。
しかし、そこには常住の実体はないとし、いつかはなくなるとする。
そうすると、「我」は存在しているようで存在していない。
これだと「有」と「無」になる。


しかし、「我執」は来世の「我」を作り出す。
今は、死んで「無」のようだけど「将来は転生する」わけだ。
そうすると「無」ではないことになる。
存在は確認できないけど、因縁として存在している様子を「空」とする。
心もそうだ。今は確認できない感情でも、縁があれば現れる。
このように、実態は確認できなくても、縁があれば現れる物が「空」だ。
それを十二因縁で示す。
ここまでが、小乗経における「空」。


しかし、では「これを根本的に変化させる実体はなにか」となる。
これを「中」とする。これが大乗教に説かれる。

「我」への執着に対し、「空」であることを警告した小乗経。
「空」への執着に対し、実体を示す権大乗経。


小乗経を信望する学者はこの違いが理解できない。でも、学者を名乗る。止めてほしい。学者よ、少しは、恥を知ろう。謙虚に真理を求めよう。