真言宗① インドの僧・善無畏の謀略 | kitani1のブログ

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  インドから中国に大日経を持ち込んだのは、善無畏三蔵らしい。大日経に一念三千がないにも関わらず、ある(一念三千⑤)と宣言したようだ。善無畏三蔵はインドでは太子(王子)だったらしい。仏法を志、僧となり、インドの経典を中国に弘めようと大志を懐いて、中国にやってきた。このときすでに、天台大師は亡くなっておられた。当時の中国の僧が天台大師の教えに従って、大日経を見ると、方等部の経典であった。これは、せっかくの経典が受け入れられないと善無畏三蔵は考えたようだ。

 法華経方便品「諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。(乃至)如是本末究竟等」から一念三千は起こっている。善無畏は大日経にも「真実相」なる言葉がある。ここに一念三千があるとする。

  しかし、同じ、「実相」でも同じ意味にはならない。
如是相・如是相・如是体、乃至、本末究竟等が有って、円融三諦(仮諦・空諦・中諦が一体不二)が起こる。


例えば---------------
Aさん「呼吸ってなに」
Bさん「空気を吸って、息をはくことだよ」
Cさん「体に酸素を取り入れて、二酸化炭素を出すことだよ」
Dさん「体の有機物と酸素が結びついて、生きるためのエネルギーを出すことだよ。そのとき、二酸化炭素が排出されるよ」
Cさん「僕はDさんと同じ事を言っているね」
Bさん「僕もDさんと同じ事を言っているね」

果たして、Bさん、CさんはDさんと同じ事を言っていたのだろうか。Bは呼吸運動について答えている。Cは呼吸によって起こるガス交換について答えている。これらも一般的には呼吸と言えるが、生物学上の呼吸とはならない。同じと言えば、B、CはDの知識を盗んだことになる。
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