「岐阜を元気にしたいんです」

そう熱く話す都会の学生に何人か会ったことがある。


元気いっぱいの学生を見ながら、僕はどうしても腑に落ちない。

「岐阜」とくくられることに抵抗があるのだ。岐阜だって飛騨もあれば美濃もある。

「岐阜」とくくる彼らが、当事者としてまちの現状を見ているのか疑問なのだ。

まちづくりとか地域活性化という言葉に酔っているだけかと疑ってしまう。

当然、それは自分にも帰ってくる。「関のまちづくりをしたいんです」と話しても、合併した地域の人から見れば、「わっちらは洞戸村やもん」と思っているに違いない。

当事者意識が、地域の共感を生むのだと思う。

単純に、その地域に住んでいない人が、「この地域の防犯のため見回りをしましょう」と言っても、説得力はない。住む人も感じている課題、目の前で困っているあの人、活動者本人の体験から感じる課題。具体的なつながりを感じられるものこそ、納得してもらえるのだ。

だからこそ、まちづくりはもっともっと狭い範囲でやるべきではないか。

洞戸のことは洞戸で考え、安桜地区のことは安桜地区で考える。そして、「地域で今何が課題か」を漠然と考えるよりも「自分が感じている課題」を掘り下げていくべきなのだろう。

それらがたくさん、溢れ出て、関が、岐阜が元気になる。

廃線となった美濃町線の再生を呼びかけた「関に電車を望む会」の活動。我々と近い世代には、「交通弱者が困っているじゃないか」という言葉より、会長が常々言う「岐阜で飲んで電車で帰りたいやろ?」の方が、共感された。

それだと、最終バスが遅くなれば良い。という結論になってしまったこともあるが・・・。


まちづくり活動は、地域の人と一緒に物事を進めることが多い。
まだ地域で活動を初めて4年目だが、何度か失敗をして、その難しさを肌身で感じている。

提案を納得してもらい、やりましょうと言ってもらうためには、やはり「論理2割、感情8割、そして事前準備で9割決まる」だと思う。さらに地域には「しがらみ」というエッセンスを加える必要がある。

最近、失敗したな~と感じたのが「否定の言葉」だ。

ある会議の席、自分が提案したとっておきの案が、議論もされず「以前決まった事」ということで切られたことがある。曖昧な部分もあるが、そんなことは以前に決まっていない。押し問答の末、私は声を荒げて「本当に決まったんですか?本当ですか?」と言ってしまった。その後「うそつきよばわりされた」とへそを曲げ何も前に進まなかった。
そこでの議論どうのこうのではなく、しっかり根回ししなかったことと、決定的な否定の一言をいってしまったことに深く反省した。
まあ、議事録もなく、何が決定事項か曖昧な未熟な会議が普通に行われているのも問題なのだが・・・。
そして、つい先日も、あまりにも理不尽な人と議論になり「それはあなたが間違っている」と明確な否定の言葉を発してしまった。話はそれ以上進まなかった。
正しい、正しくないではない。コトを進めていくためには、常々関係性を築いて、感情を害する言葉を発してはいけないのだと感じた。

昨年ある大企業の社長とお話できたとき、「マネジメントへの心得」について聞いてみた。その方は「相手を明確に否定した言葉を発しないこと。言葉にしてしまったら相手はずっと覚えているからね」と言った。ごもっともな事。

市民活動センターの運営をはじめて、これまでより地域に関わる事になり、勉強する事も多い。一つ一つ受けれて日々勉強していかねばなりません。

ただ、そんなこんなは大事だが、気にしすぎて動けなくなる事はダメ。実際地域にはそんな残念な組織がいっぱいある。目に見える形にしか賛否もないのだが。
来週、市民活動向けのブログ講座の講師をやることになり、自分にとってブログがどんな存在か考えてみた。
僕は7年ほどブログをやっている。書き始めは学生の頃。今読むと恥ずかくてそっと削除ボタンを押したくなる。それだけやっていると大きな環境の変化もあった。卒業して、仕事して、やめて、NPOを立ち上げて。。。
そんな変化とともに、自分の中でのブログへのスタンスも変化してきた。
はじめは単なる日記だった。今は、NPO活動の情報開示の意味合いも強い。寄付をしてもらっている人、活動を応援してくれている人への責任もある。もちろん、関市の魅力を知ってもらうという意味もある。

ただ、7年を振り返り、一貫しているのは、ブログを書く事が、その時々の経験を咀嚼する役割になっていたことだ。

誰かと話をしていて、心に響くのは、経験からくる言葉だったりする。
講師の言葉にも、取材でインタビューをしている時にも、実践者の言葉には、ドキッとする事が多い。
僕もそんなふうになりたいのだ。

毎日ある出来事をしっかりと咀嚼して受け止めていないと、経験が体験で止まり、言葉にまでたどり着かない。毎日をなんとなく過ごすことは、すごくもったいない事なのだ。

これからブログを書く時は、経験の咀嚼をもっと意識して書こうと思う。
それを積み重ねて、経験から重みのある言葉を発する人間にならなければ!

ただ、ブログ講座にこの気づきは、まったく関係ない・・・。さて資料を作らねばならない。