自分は今まで恋愛と呼べる恋愛をしたことがなく…
恋愛とはなんぞやと最近考えてみたわけです。
この間ネットをみてたらこんなことが書いてありました。

「恋愛とは大人になるにあたりゆくゆく自分の生涯の伴侶となるべき人を見つけるための訓練であり、多くの異性と付き合うことで自分に適した人を見つけるための力を養っていくために行うのである。だから恋愛は若いうちに沢山行った方がいいのだ」と…


なるほど、確かに恋愛とは人生経験として重要な意義を持ってくると思います。

皆さんは恋愛に関してどんなイメージをお持ちでしょうか。

大抵はドラマのような清純なイメージを持つでしょうが、しかし恋愛とは私が思うにもっと生々しい生臭いものだと思います。

よく下心のない恋愛は可能かとか言う話を聞きますが、昨今の恋愛というのは体の関係なしには成立しないようなものです。もしかするとその下心が男女の仲をより深めてるのかもしれません。


私が恋愛という恋愛をしたことがなかったのは、もしかしたら恋愛というものに高尚なものを求めすぎていたからなのかもしれません…


要するに根暗
皆さんはナチスドイツの優生思想を知っていますか?
いわゆるユダヤ人の虐殺で有名なホロコーストです。
ナチスドイツは自分達ゲルマン民族こそが世界でもっとも優秀な民族でありユダヤ人と混血し合えば自分達の民族の遺伝子が汚れる(第一次世界大戦後のドイツではユダヤ系の人間が経済を牛耳っていたのでドイツ人の間で反ユダヤ主義が広まりやすかった)と言うことでユダヤ人の排斥を行い民族の浄化を図ろうとしたのですね。

これがホロコーストと呼ばれるナチスドイツの優生政策です。


そもそも優生思想はダーウィンの進化論に起源があります。
生物は環境に適応できる遺伝子を持った生物が子孫を残し、進化していく…
環境に適応できなかった遺伝子を持った生物は死に絶える…

例をあげれば速く走れる遺伝子を持ったトムソンガゼルはライオンから逃げ切れて子孫を残せるが速く走れないトムソンガゼルはライオンに捕食され子孫を残せない…

このようにして環境に適応できる能力を持った生物だけが生き残り進化し、そうでない生物は淘汰されるというのがダーウィンの進化論です。

そしてナチスドイツはこの進化を優秀な遺伝子を持つものだけを残し、劣っているものを強制的に排除することで人工的に起こそうとしたのです。
しかしこれはナチスドイツの独断と偏見でただ単にユダヤ人は劣っていると言う根拠のない理由で行ったものであり、結果的にドイツの敗戦という形で阻止されました。

ただ優生思想自体は間違った考えではなく、優れた能力を持つもの同士を交配させればその親の特性を持つ個体が誕生するのは事実であり、ダーウィンの進化論がそれを証明しています。握力の強さなども遺伝によるとされてますし、優れた能力を持つものだけが生き残ることによって生物の進化が起こるとされています。

ではもしナチスドイツのような人種政策が起こったとしたらどうなるでしょうか?それもただ単に根拠もなくユダヤ人は劣っているんだと言う独断と偏見ではなく、科学的な根拠のある理由で人種政策を行ったりしたら…


たとえばIQがこれだけある人間だけは残してIQが低い人間は切り捨てよう、とか
運動神経が優れてる人間は残して劣ってる人間は切り捨てよう、とか

そういった理由で人種政策が起こったりしたらどうでしょう?


有り得ない話かもしれませんが人口が爆発的に増えている今の世界では「口減らし」のために人口が削減されるやもしれません…
そんな世界で優生思想はまさに合理的な思想と言えます。口減らしを行いつつ優れた人間だけを残し、穀潰しと決めつけられた人間を淘汰することで人類の進化を促す…

しかし自分はそんなことをしても進化などしないと思います。
優れた、劣ったと言う概念はどこまでいってもなくなることはありません。
足の速いトムソンガゼルの群れと足の遅いトムソンガゼルの群れでは足の速いトムソンガゼルの群れが生き残り種を残します。そしてその足の速いトムソンガゼルの群れの中からさらに足の速いトムソンガゼルの群れだけが残りそうでないものが淘汰される。

優生思想はこの悲しい輪廻を永遠に繰り返すのです。

そんなものを強制的に行ってどうなるとゆうのでしょう。
また動物のような生き方に戻るだけだと思います。

人間は進化の末にその輪廻から逃れることができたのです。









心理学では、青年期において人は「自分とは何者か」とゆう疑問に対する答えを見つけることによって自己すなわち自分自身のアイデンティティーを確立するそうです。




このアイデンティティーを確立することにより、人は、どのように生きればよいか、どんな職業についたらよいか、とゆうように自分の生き方を決めることが出来るようになるそうです。




そしてこのアイデンティティーを確立した人間に特徴付けられる性質は、エリクソンいわく「忠誠性」だそうです。


国家や軍隊、企業といった組織に対する忠誠、あるいは恋人や配偶者、家族に対する忠誠…


要は誰かのために尽くしたいとゆう感情なのでしょう。




人が誰かのために尽くすことによって生き甲斐を感じる事は間違いありません。
そして誰かのために尽くす生き方をすれば間違いなく幸せになれると私は思います。




しかし中にはこのアイデンティティーを確立することが出来ない人もいます。そしてそういった人々の数は少なくありません。


アイデンティティーの確立ができなくなると言うことは、すなわち忠誠を誓う対象がいなくなる=自分自身の存在意義を見いだせなくなることを意味します。




アイデンティティーを確立出来なくなった人間は、自分自身の存在意義を見いだせないため非行に走ったり、また、忠誠を誓う対象がいないことにより、自分自身のやるべき行動がわからずいたずらに日々を過ごしたり、あるいは熱狂的な思想(カルト宗教)に傾倒することがあるそうです。






孤立無業者や自殺者が多いのはもしかしたら自分自身の生き方を模索しずらくなった現代日本の社会に起因するのではないでしょうか…