バルセロナ、アトランタ、北京と3度のオリンピックを経験し、
日立ベルフィーユの黄金期も、停滞期も知っている多治見麻子選手が引退したそうです。
 
日立ベルフィーユから、チームの廃部と共にパイオニアレッドウィングスに移籍。
しかし、パイオニアレッドウィングスの低迷から日立リヴァーレに移籍した多治見選手。
 
本当に昔から変わらないプレースタイルで、ベテランながら、とても若いプレーを見せていました。
38歳という年齢でしたので、選手生命としては、そう長くないと思っていましたが、
やはり、引退の時期を迎えてしまいましたね~。
 
全日本でも、91年から99年、07年・08年と長い年月を戦いました。
パワフルなクイックやバックアタックなども打てるし、凄い選手だな~と思って見た記憶があります。
95年ワールドカップ期間中に多治見選手のお母様がなくなりました。当時はチームでも年少さん。
殆ど寝ないで、試合に出場したアメリカ戦で、大活躍。MIPにも輝きました。なつかし~な~。
 
それから4年後はキャプテンとして、ワールドカップに挑みますが、
怪我もあり、思うようなプレーが出来なくて、翌年のオリンピックへの挑戦の大事な歳に全日本落選。
本人は、とてもとても悔しかったと思います。
その後も怪我との戦いでしたが、パイオニアに移籍後は、順調に回復していき、
07年に全日本に再び選ばれ、08年に35歳で北京五輪に出場しました。
 
 
本当に長い間、お疲れ様でした。
 
 
大林さんのブログにて、引退パーティの様子が書いてあります。
 
 
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