インカ帝国のマチュピチュは、幻の空中都市として世界遺産の中でも最も人気の観光地だ
それが、富山と不思議な関係があると言っても、にわかに信じがたいだろう
そんな「風が吹けば桶屋が儲かる」式の原稿を北日本新聞文化面に書いた
 
掲載されたのは、きょう(1月19日付け)である
記事の画像を掲載すれば、ここで書く必要もないが、著作権の問題もあり、控えたい
 
時は江戸時代末期にさかのぼる
東岩瀬の次郎吉らを乗せた越中の北前船・長者丸は、1939年1月(天保9年11月)仙台領沖で遭難する
5か月間にわたって太平洋を漂流していたところをアメリカの捕鯨船に救助され、ハワイに到着
 
そこで、世話をしてくれたのがアメリカの宣教師たちである
加賀藩の『時規物語』によると「ベイナム」として登場するのが、ホノルルにいた「ハイラム・ビンガム1世」だ
病死した船頭の平四郎(富山木町=現富山市総曲輪付近)の葬儀を、ビンガムは導師として執り行っている
原住民が多数参列した盛大な葬儀だったという
 
ビンガムは平四郎の墓を自分の子供たちの墓のそばに建て、「ゆくゆくはアメリカ本土から石材を取り寄せて、本格的なものにしたい」と漂流民たちに語っている
 
エピソードはほかにもある
ハワイにいた広東人が、「われわれの漢字を使うなど、日本は属国のようなものだ」と見下したことに、炊(かしき=炊事係)の金蔵(放生津新町=現射水市)が腹を立てた
それを聞いたビンガムは、「日本は他の国に攻められても一度も負けたことのないというではないか」と、なだめた
 
誰にも慕われた宣教師だったが、その孫がハイラム・ビンガム3世(1875―1956)だ
彼はホノルル生まれの歴史学者であり、インカ帝国に強い興味を覚えて、1911年に「エール大学ペルー探検隊」を組織し、マチュピチュを発見した
1948年に出版された『失われたインカの都市』は、ベストセラーになっている
 
そのせいか、ハイラム・ビンガム3世は、冒険映画「インディ・ジョーンズ」のモデルの一人と言われているのだ
 
越中の漂流民・次郎吉たちは、富山とマチュピチュを不思議な縁を結んだ
絡み合う歴史の糸は、思わぬ偶然を呼ぶ