カンボジアに行ったことがある
勤めていた新聞社の子会社が旅行業務も取り扱っており、ツアーに乗っかった
内戦が終結して、行けるようになったことがうれしかった
 
最大の目的はアンコールワットなどの遺跡群である
今、テレビで見ると、遺跡に上るための鉄製の手すりもあるようだが、当時はなかった
結構な高さで、急な角度のため、多少怖かった
いや、それより、入るのに料金などいらなかった
 
アンコールワットの神殿に上る時、お年寄りには、現地の子供たちが手をひいてくれていた
てっぺんに着いて、お年寄りたちは「ありがとう、ありがとう」とお礼を言っている
すると、子供たちは手を出して「1ドル」と日本語で言う
「なーんだ、親切ではなかったのか」と、お年寄りたちは苦笑いして、1ドル札を手渡していた
 
そこだけではない
あちこちで「1ドル、1ドル」と子どもたちが声掛けてくる
手作りの竹細工を持った子供も「おとうさん、お土産、お土産!おまけ、おまけ!」と日本語で群がる
 
当時、大人が日雇いで働いて、収入は1日2ドルと聞いた
子どもが物乞いをすれば、親は左うちわで暮らせるとも
 
「チェンジ、チェンジ」と言って千円札を出した子もいる
誰か日本人が千円札を渡したのだろう
一万円札は銀行などで両替できるが、千円札は出来ない
だから、観光客である私に必死に頼んできたのに違いない
仕方なく、当時のレート通り10ドル紙幣と交換した
 
いろんな思いが交錯する
物乞いをつくっているのは観光客のような気もするからだ
 
カンボジアにはベトナムから入ったが、帰国時はタイ経由だ
空港に向かうバスが渋滞に巻き込まれた
全くもって動かない
 
カンボジアを訪問していたフィリピンのラモス大統領を見送るため、シアヌーク殿下が空港に行っており、道路が封鎖されていると聞いた
すごい国だなと思った
しかし、すごいのはこれからだ
 
運転手が警察官?にチップを渡すと、封鎖されているはずの道路に入れた
さっきの渋滞した道とは違い、この広い道は全く車が通っていない
猛スピードで空港に向かうことができるのだ
 
しばらくして、前方からヘッドライトの車列が見えた
6車線ぐらいだったか、上り下りは関係なく道路いっぱいに広がって、こちらに向かってくる
バスは路肩に下りて道を譲り、斜めになって停車した
 
そのわきを通り過ぎる車列から、一瞬、シアヌーク殿下の顔が見えた
写真で見た顔だった
見送りを終えて、帰るところだった
 
きょう、ニュースでシアヌーク殿下の死去を知った
第一に思いだすのは、このことである
世界にはいろんな国がある
考え方も違う
 
しかし、誰もがこの地球に生きて、誰もが死んでいく
それだけが変わらない
なぜだか、急にカンボジアを再訪したくなった