北日本新聞文化面で連載していた「鎖国の扉を開けた越中人」は、本日付け(1月14日)が最終回
わずか3回の連載だったが、一応、言いたいことは書ききった
 
きょうの内容は、拙著『漂民次郎吉』で主人公とした次郎吉である
岩瀬出港時は26歳
長者丸での役目は追廻(おいまわし=雑用係)なので、炊(かしき=炊事係)の一つ上
つまり、身分的には低い
 
しかし、遭難して異国を転々とさせられる中で、能力を発揮していく
まずは、力持ちである
ボールドウイン博士の伝記にも「中背だが筋肉質。小麦粉の樽を軽々と担いだ」とある
そして、何より、積極性がある
 
遭難から異国の地へ
極限状況のなかでも、前に出ることをやめなかった
異人たちと交わり、言葉も覚えた
博士の伝記では「ハワイ語や英語を聞きとる心構えが出来ている」と評されている
 
だからこそ、当時建設計画のあったパナマ運河のことを聞き、帰国後、そのことを述べている
加賀藩の儒者が作成した『時規物語(とけいものがたり)』では「北アメリカと南アメリカの堺の地を切り通し、両方へ渡海自由にいたしたくとて」などと出てくる
 
大陸に溝を切って、船を通すなどと言う当時の日本では考えられなかったことだろう
実際にパナマ運河の完成は、日本で言えば大正年間である
それを天保年間に伝えた
幕府は異国の力の強大さを思い知ったに違いない
 
日本は後年、開国に転じる
まさに、こうした鎖国の扉を開けるきっかけになった一人ではないだろうか
 
前にも書いたが、英語、ロシア語、広東語、ベンガル語などの言葉1459語が残されている
発音を耳で聞いたものだから、原音に近い
女(ギャル)、北風(ノースウエン)、島(アイラン)、1両(ワンダラー)、今日は寒い(テダイ コーリ)と言った具合だ
 
帰国後の次郎吉の消息は、このブログで前に書いたとおり
公式記録からは姿を消しており、謎だらけだ
おかげで、当方も次郎吉の探索からいつまでたっても足を抜くことが出来ない