富山に維新の志士はいない
幕末のドラマで富山が舞台になることはない
しかし、本当にいないのだろうか
 
実は、江戸末期の鎖国下にあって、漂流し、アメリカの捕鯨船に助けられて5年後に帰国した船乗りたちがいる
ハワイ、カムチャツカ、オホーツク、アラスカと移動したのちに、ジョン万次郎より早く帰還し、強大な力を持つ諸外国の情報を詳細に伝えた
後年、攘夷から開国へと日本が舵を切るきっかけになったと言えなくもない
 
そうした越中の北前船・長者丸の乗組員の足跡が、ハワイにあった新たな史料でまた少し明らかになった
船頭の吉岡屋平四郎については、「教育を受けており、謙虚で、男らしく、親切で、故郷に残した子供たちを思っている」とある
 
そうした記録について書いておきたくて、富山県の県紙・北日本新聞の文化面に「鎖国の扉を開けた越中人」と題して、寄稿した
今日付けから3回である
 
持っていた阿弥陀様の掛け軸を譲ってほしいと言われた平四郎は、こう答えている
「バイ バイ ミー ダイ(これと別れたら、私は死ぬ)
 
アメリカ人の宣教師の子供を見て、指を5本見せて自分には5人の子供がいることを示す
そして、「ミー ノー スイー(長い間会っていない)」と
宣教師たちも、わが子を思う熱い思いに胸を打たれた記録が残っている
 
これらの事実は、オアフ島の宣教師の伝記「ラハイナのボールドウイン博士」(1953年に博士のひ孫の子が刊行)にあるが、そのもとになった史料が明らかになったのだ
 
明日付けの新聞も、日本の史料に出てくるカオカ(ジャッド医師)のほか、チェンバレンら宣教師の日記、手紙などについて書いた記事が、掲載される
 
(新聞記事は著作権で保護されており、掲載できないのでご了解ください)