情報というものは、あるとき急に、どこからか入ってくるものだ
次郎吉をはじめとする越中の北前船・長者丸の漂流者を追いかけていたら、ハワイの史料が持ちこまれた
長年、在ホノルル日本総領事館で勤務していた大瀧雄次さんが、帰国した際に新潟の書店で拙著「漂民次郎吉」を見つけた
それまで、収集した史料を渡したい、有効に使ってほしいといって、電車で富山にやってきた
先月末のことである

大瀧さんは、10年ぐらい前にハワイの歴史を調べていて、日本人が最初に来たのは誰で、いつか? と気になり始めた
調べてみると、越後・早川の五社丸という難破船の乗組員だった
早川は、のちに村上市の一部となった
それは大瀧さんが育った地であったから、すっかり調査にのめり込んだ
この五社丸の事件は長い間、日本では知られなかった
唯一、越中の長者丸の漂流を記録した加賀藩の「時規物語」に「自分たちより早く、角長(かくちょう)の船の者がハワイに来ていたとあっただけである
というわけで、大瀧さんは長者丸のことも調べ始め、ハワイ大学、各地の博物館などを回って未整理の史料を集めたのだ
その中にはジャッドの日記などもある
幕府の儒者が漂流民の生き残りから聞いてまとめた蕃談で「ミステ・カオカ」とされる人物のことである
カオカはハワイ語で「医師」
つまり、現地で「お医者様」と言っていたので、漂流民たちもそう呼んだのであろう
この日記で驚くことは多かったが、特に長者丸関係が出てきた2年後に「TOSA」の船が入港し、5人のフィッシャーマン(漁師)が来たとあることだ
いわずと知れたジョン万次郎のことである
わずか、2年の違いで、ジョン万次郎は全国区となり、次郎吉たちは歴史の闇に埋もれた
史料は、ジャッド関係のほか、ボールドウイン、チェンバレン、ビンガムら、長者丸の漂流民と関わったハワイの宣教師たちのものがそろっている
まだ、一部しか分析はしていないが、さらに新たなことが分かるのだろうか
(写真は北日本新聞11月16日付け。著作権に触れないよう、サイズダウンしてあります)