北前船を見に、富山県高岡市の伏木港に行ってきた
正式には、復元北前型弁財船「みちのく丸」という
日本海文化交流事業で、日本海側各地をめぐっているのが富山に寄港したのである
 
北前船が青森で復元されていることは、かなり前から知っていた
『漂民次郎吉』を執筆するために、いろいろと資料を漁っていて、そのことにたどりついた
なんだか、先を越されたような悔しい気がしたのは事実だ
 
イメージ 1  鎌倉時代から室町時代にかけて、重要な湊を三津七湊(さんしんしちそう)と呼んだ
三津とは、筑前・博多の津、薩摩・坊の津、伊勢・安濃津
七湊は、越前・三国、加賀・本吉(美川)、能登・輪島、越中・岩瀬、越後・今町(直江津)、出羽・秋田、津軽・十三湊である
つまり、当時から越中富山にも重要な湊はあった
 
さらに、江戸後期の北前船となると、越中には伏木をはじめ寄港地はいくつもあった
その一つ、岩瀬の船の遭難物語が『漂民次郎吉』である
鎖国の時代にハワイ、カムチャツカ、オホーツク、アラスカをめぐっての帰還であり、その異常な体験はぜひ後世に語り継ぎたいとの思いで書いた
 
イメージ 2  ただ、文章にするには、基本的なことを知らなくては一行も書けない
特に、遭難の模様を詳しく書くには、和船の構造や操作方法も知らないといけない
さらには、船乗りたちが何を信じていたかーなど風習までだ
いろいろ本を読んで、次第に知識を深めて行った
 
そのうち、「北前船を現代によみがえらせたら素晴らしいな」とまで思うようになった
しかし、それは青森ですでに現実のものとなっていたのである
 
イメージ 3  ようやく本は出来あがったが、実際の北前船は見たことがなかった
自分の知識を再認識するつもりで、伏木港へ出掛けたのである
 
入港してきた復元船「みちのく丸」は千石船
『漂民次郎吉』の長者丸(650石積み)より大きいのは当然だ
資料によると、みちのく丸は全長32m、全幅8.5mだという
特に圧倒されたのが帆柱だ
高さ28mはさすがに高い
風を動力源としているのだから、当然なのだが、イメージしていたよりはるかに高い
樹齢200年の岩手のスギだそうだ
 
船内も、知識を思いだしながらあちこち見て回った
なんだか気が焦って、よくは見られなかった
それでも、全体のイメージはつかめた
 
和船は西洋の船と違い、水密構造にはなっていない
波が掛かると、船内にも入ってくる
さらに一枚帆だから、逆風にも対応しにくい
 
イメージ 4  それでも、荷物を運ぶのにこれほど適した構造はないとも言われる
日本で発達した驚くべき船が北前船だ
知恵と技術の塊と言ってもいい
それを自前で再現した青森県がうらやましくもある
 
文化は祖先がたどってきた歴史そのものだ
それを忘れないように復元したのは、祖先への敬意と感謝の気持ちと言えなくもない
 
富山県でも、北前船に関してなんらかの形を残してほしい
切に、そう思う