江戸時代に限らず、海に囲まれた日本は、古くから海難事故が頻発していた
気象を予測するには、経験と勘が頼り
荒れる沖合を帆走する船でも、甲板と船室が密閉されている水密構造ではない
おかげで、暴風で遭難した船乗りたちの多くは、波にもまれ、海の藻屑と化してきた
きわめてまれに、どこかの島に漂着したり、異国船に助けられた者の記録だけが、いまに残る
江戸時代の漂流記としては、1年5か月も漂流し、ロサンゼルス近くまでたどりついた尾州名古屋の督乗丸を描いた「舩長日記(ふなおさにっき)」が有名だ
ほかにも、ロシアの女帝・エカテリーナ2世に謁見した大黒屋光太夫で知られる伊勢の神昌丸の「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」なども知られている
このほかにも漂流記は数多いが、名前を挙げることができるのは、ジョン万次郎やアメリカ彦蔵(ジョセフ・ヒコ)ぐらいのものだろう
つまり、幕末に脚光を浴び、明治になっても活躍した人だけが歴史に名を刻んでいる
「漂民次郎吉」で描いた、越中・東岩瀬の長者丸の乗組員たちは、ハワイ、カムチャツカ、オホーツク、アラスカと移動させられた
おかげで、異国の膨大な情報を持ち帰ったが、幕末にはまだ少し早かっただけに、それらの情報や彼ら自身が直接生かされることはなかった
いや、ジョン万次郎も、最初に薩摩藩の島津斉彬が見出さなければ、その後半生は埋もれたとも言われている
富国強兵のために西洋の知識を取り入れようとしていた島津斉彬の存在があってこその、ジョン万次郎なのである
江戸時代の漂流記を集めた「日本庶民生活史料集成」第5巻を読んでいて、あらためて「あること」に気付いた
それは、身分である
当時の船乗りたちを取り調べた幕府や藩の役人=武士たちにとって、船乗りたちは「下賤のもの」なのである
これまでも、現代の感覚で史料を読みとろうとすると間違えることがあると肝に銘じてきたが、それでもなかなか抜けきらない
つまり、身分などというものを、心から意識することがないからだ
第5巻のうち長者丸を描いた「時規物語」は加賀藩の学者が聞き取りをして描いたもので、評価が高い
同じ漂流について幕府の儒者が書いた「蕃談」について、「著者の考え方などが色濃く反映されている」として批判もしている
つまり、史実を忠実に記録するために、すさまじい努力を重ねている
江戸時代の漂流記のなかでも秀逸とされているのは、こうしたことからだ
それでもなお、この学者の文を読むと漂流民たちのことを「もっとも下賤の者どもゆえ、見聞記憶等も不行き届きの義もこれあるべく」などとしている
つまり、これが時代のなせるわざなのである
どんなに学究の徒であっても「身分のフィルター」をかけて見ることしかできないのだ
その点、ジョン万次郎を見出した島津斉彬はたぐいまれな優れものであったのだろう
さて、余談を書いておく
1968年発行の「日本庶民生活史料集成」第5巻(三一書房)は、ずっと図書館で借りて呼んでいた
1冊16,480円もする新品は売っていないし、中古本も5000円ぐらいで、手が出ないのである
ところが、最近、新品同様のものを3800円で販売している古本屋をAmazonで発見、思わずクリックした
届いたのは、1993年発行の新品同様、いや新品だった
注文票まで、入っていたのだから
どの漂流記も文語体だから、読むのに骨が折れる
しかし、逆に言えば、これからずっと楽しめるのかもしれない