先週、出張で和歌山県太地町へ
ご存知、古式捕鯨発祥の地として知られている紀伊半島南端の小さな町だ
三軒一高町長、北洋司教育長らから、財政改革への取り組みなどを聞いたが、なんといっても、捕鯨の歴史の深さには驚かされた
まさに捕鯨=太地町と言ってもいい
だから、人口3600人の小規模自治体でありながら、「町立くじらの博物館」は世界一のスケールを誇る
 
イメージ 1実は、その鯨の話をしようというのではない
博物館で案内をしてもらった学芸員の櫻井敬人(さくらい・はやと)さんの言葉にびっくりしたのである
19世紀、多くのアメリカの捕鯨船が日本近海にまで乗り出した
そして、ジョン万次郎ら日本人の漂流民を救ったという話のときに、「次郎吉」という言葉が飛び出したのである
 
「次郎吉? 時規物語(とけいものがたり)の、ですね」
その言葉を聞いた途端、思いもかけないところで、旧知に出会ったような気がしたのだ
時規物語は、次郎吉らの漂流から、ハワイ、カムチャツカ、オホーツク、アラスカを経て択捉に帰還するまでの5年間を加賀藩の学者らが書きとめた記録である
さらに、櫻井さんからの口からは「ジェームス・ローパー号(次郎吉ら長者丸乗組員を救助したアメリカの捕鯨船)」という船名や、かつてアメリカの捕鯨基地で、ジェームス・ローパー号の所属していた「ナンタケット島」などの言葉がぽんぽんと
 
この事件は、越中富山の北前船の貴重な体験であり、江戸末期に多くの異国情報をもたらした稀有な出来事であることは、このブログに何度も書いた
ジョン万次郎に勝るとも劣らない貢献をし、日本が開国へ動くきっかけの一つになったと思われるが、残念ながら歴史上のヒーローの故郷・当の富山県では、ほとんど知られていない
もちろん、地元で知られていないのだから、全国区にはなっていない
 
イメージ 2筆者の力不足で、なかなか浸透しないのは承知しているが、「こんなもんか」と、いささかあきらめムードもあった
ところが遠く離れた太地町で、この事件に詳しい人がいることに驚かされ、同時に勇気付けられたのである
聞くと、加賀藩の史料を保管している東京・駒場の前田育徳会「尊経閣文庫」も訪ねて、時規物語の図版を見たという熱心さだ
 
櫻井さんは三重大学、名古屋大学大学院を出て、アメリカ・マサチューセッツ州のニューベッドフォード鯨博物館でアシスタント学芸員を務めたあと、太地町のくじらの博物館に来たそうだ
 
アメリカには、当時の捕鯨船の航海日誌が2500も、きちんと記録として残されているという
そう言えば、ジョン万次郎を救助した捕鯨船の航海日誌を本にしたものを読んだことがある
もしかすると、次郎吉たちの詳細な状況も記録として残っている可能性が高い
 
次郎吉たちについて、知らないことがまだまだ多い
この日は、時間がなくて櫻井さんとほとんど話せなかった
ただ、歴史を掘り起こし、地道に探し求めていくことの大切さを痛烈に思い知らされたのである
(写真はくじらの博物館の模型と、飼育されているゴンドウクジラ)