昨夜、フジテレビ系で「神戸新聞の7日間」を見た
15年の時を超え、さまざまなことがよみがえった

あの朝、富山も揺れた
震度3だったが、飛び起きた
記者として神戸に行きたかった

だが、結果的に行けなかった
だから、震災の直接の記憶ではない

思い出したのは、神戸新聞の論説委員長、三木康弘さんのことである
震災のひと月前の12月、東京で論説委員の会議があった

そのあと、数人で飲みに出た
初めて会った三木さんは当時62歳で、頭髪は真っ白
だが、目はとても人懐こかった
そんな人柄に触れ、意気投合した

私は、ポートアイランドや三宮の神戸新聞の思い出などを語り、「久しく神戸に行っていないなあ」とつぶやいた
別れるとき、三木さんは、自分より20歳近く若い私に両手で握手をし、
「神戸に来たら、ぜひ連絡してよ」と言った

三木さんの姿をテレビで見たのは、震災から2週間後ぐらいだったろうか
確かNHKだった
年老いた父親ががれきの中にいるが、どうしようもできない
そんな中、三木さんは社説を書く

新聞の1面に載った社説は「被災者になって分かったこと」と見出しが付けられていた
「(父親を助けられない)埋まったままの二日間の無力感、やりきれなさはたとえようがない」
「これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく」
壮絶な社説を書くまでの三木さんの姿をテレビは報じていた

社説とは社を代表する意見だ
そこに、自分の思いを書いた
だから、ためらいもあったという
しかし、彼しか書けない社説であったことは間違いない

神戸新聞は、神戸や兵庫県民の心情を理解できる真の味方として、新聞を発行し続けた
もちろん、配る家々は崩壊している
だから、避難所に無料で配った

他人事で、悲惨な情報を満載するのとは違う紙面だ
そんな神戸新聞に、多くの人々が「ガンバレ、ガンバレ」と声をかけた

読者と新聞の関係、地方紙のあり方がくっきりと映し出されているのは言うまでもない
そして、「人々のおかげで成り立っている」記者という職業のありようも教えてくれている