大先輩で、かつての上司だった人の葬儀に行ってきた
参列した人から「1か月前に本屋で会った」と聞いた
それほど急死だった

背が高く、真っ白な髪が特徴の豪快な人だった
読書家で、博識
特に推理小説が好きだった
北朝鮮へ取材に行ったこともある
万事、好きなように生きたとはいえ、記者として、これはと思ったら手を抜くことは絶対なかった
文章が極めて洗練されていて、うまかった

教えられることが多かっただけではない
潔い、人柄に惚れた
まさに、本で読んだ白洲次郎のようなカッコよさがあった

その人は、桜井諭吉という
いや、本人のこだわりからすれば、旧字の表記で櫻井諭吉である
諭吉だけに慶応ボーイだった

この人の訃報をなぜ、「漂民 次郎吉」ノートに書いたかといえば、次郎吉と縁がありそうだからだ
次郎吉は天保14年(1843)、ロシア船に乗せてもらい、アラスカから択捉に帰還する
そして、蝦夷(北海道)の厚岸で越中東水橋の北前船主、石黒屋権吉に出会い、大変世話になるのは前に書いたとおりである

その石黒屋権吉のことを書いた「水橋の歴史」という本を読んでいたら、妻は「モト」と言い、櫻井家から来ていることが分かった

櫻井家といえば、水橋では狐塚屋櫻井傳三郎家が旧家として有名である
売薬に続いて、酒造業に乗り出し、銘酒「花乃井」を醸造していた
同時に文人の家系であり、芭蕉の真筆「銀河の序」を保有していたことでも知られる
富山県の薬剤師第一号を生んだ家でもある

それが櫻井諭吉さんの先祖なのだ

つまり、モトさんの実家が櫻井傳三郎家なら、まさに次郎吉と縁があるということになる
石黒屋権吉のような大きな北前船主に嫁に行けるのは、それ相応の家柄が必要だっただろう
だから、可能性は極めて高いと思っている
そうした事実を櫻井諭吉さんに会って、聞いてみることにしていた矢先のことである

人はなかなか死なない
だが、時としてあっけなく逝ってしまう
葬儀でお経を聞いているとき、さわやかに生き、さばさばと去ったあっぱれさを見習いたいと思った
享年75歳
合掌