
その北側のピークが呉羽山だ
標高わずか77メートル
なのに、雑煮に入れるのが角餅なのか丸餅なのかのように、見事に関東文化圏と関西文化圏に分けている
その呉羽山のふもとに、五百羅漢がある
江戸時代、富山の廻船問屋・黒牧屋善次郎が発起して寄進を呼び掛けた
制作したのは佐渡の石工
像は北前船で運んだ
すべて出来上がるまで、寛政11年(1799)から50年かかったそうだ
その羅漢像の中に、蝦夷・松前の廻船問屋からの寄進があるという
以前、この欄で書いた上田忠右衛門である
次郎吉らが漂流前に立ち寄って止宿し、さらに5年間の異国生活を経て択捉に帰還した後、再び、この上田家に留め置かれ、松前藩に事情を聞かれている
漂流前は10人だったが、帰国したのは6人になっていた
こうして越中の北前船・長者丸とは因縁浅からぬ上田家だが、先達の研究でも、現在はどうなったのかよくわからないようだ
しかし、越中の地にその痕跡がある
次郎吉らが漂流し・帰還した天保時代というのは、たどれる身近な歴史と言ってもいい