ドイツ人と一日だけのヘンテコリンな二人旅は続く
彼はポテトチップスが食べたいと言い出した
近くの店に入ったが、ない
当時はそれほどありふれた食べ物でもなかった

「ここでは売っていないよ。代わりのものにしよう」と言うと、彼は「ノン・スイートなものがいい」と言うので、せんべいを買った
袋に手を入れて二人で食べた

そして、最終目的地として松前城に行った
このお城は鉄筋コンクリートで復元されたものである
内部に昔の調度品などが陳列してあった
その中に「耳盥」というのがあった
彼は、「これは何か?」と聞いた
耳を洗う専門の盥(たらい)でもなさそうだし、返答に困ったのを覚えている

今から考えると、この松前藩のことはもっと知っておくべきだった
遭難から5年後、次郎吉たちがハワイ、カムチャッカ、オホーツク、アラスカを経てロシア船で択捉に帰還して以来、世話になるのが松前藩である

もちろん、蝦夷を支配していたのだから当たり前のことだが、密度の濃いつながりがある
択捉で小林朝五郎という松前藩士が次郎吉たちの乗ったロシア船に乗り込んでくる
これは、許可なく勝手な真似だったと見えて、後日、処分されている

さらに、択捉の振別(フルベツ)では、小笠原判平の尋問を受けている
そこから松前まで役人が同行した
国後を経て、ネモロ(根室)、クスリ(釧路)などを経て、陸路を来るのである
さらに江戸までの道のりも松前藩の役人によって連れられ、江戸勘定所まで赴くのである

それほど、松前は蝦夷の中心地であったのに、その面影は薄くなっている
私のドイツ人との旅は列車で来たが、それさえ今は廃線となっているようだ

函館まで戻って、私は東京へ戻る夜行に乗る
彼は、これから北海道を回るのだったか忘れたが、函館駅のホームで別れた
私は知っているドイツ語であいさつした
「アウフビーダーゼーエン(さよなら)」

彼は、そんなかしこまったあいさつでなく、仲のいい友達が交わす別れの言葉を教えてくれた
残念ながら、35年前のことで忘れてしまった
しかし、間違いなく、その言葉をお互いに口にして手を振った

連絡先は聞かなかった
今、手元には私が撮った彼の写真が一枚あるだけだ
似顔絵しか残っていない次郎吉と同じである