越中の北前船・長者丸が立ち寄ったのが蝦夷の松前である
ここで昆布を仕入れ、各地で売ることにしていたようだ
こうした俵物と呼ばれた製品を海外へ売る場合は公儀(江戸幕府)が独占しており、長崎に廻航しなければならない
しかし、それでは、利が薄いことから、御法度の密貿易も盛んに行われていたようだ

このことは後日に書くことにするが、とりあえず地域間貿易で儲けていたのが北前船なのである
つまり、運賃をもらって物資を運ぶのではなく、物資を買っては次の目的地で売ることを繰り返す
一航海で千両の儲けと言われたほどだ

さて、話は戻る
松前というところには一度しか行ったことがない
それは1973年だったと思う
つまり35年前のことである
今から考えれば、次郎吉たちが立ち寄ったのが天保9年(1938)だから、その135年後ということになる

一人旅をこよなく愛する学生だった
いや、学生運動が下火になって、心に開いた穴を埋めるために旅をしていたのかもしれない

その日、北海道一周を終え、最後の大沼のユースホステルで、一人の外国人と知り合った
名前は忘れたが、ドイツ人である
日本語は単語を10個ほど知っていただけ
なのに、ヨーロッパをヒッチハイクし、さらに、日本にたどり着いたという
こちらの旅とのスケールの違いに驚かされたものだ

なぜか、気が合って、翌日は一緒に松前に行くことになった
そのころ、私はタバコを吸っていたのだが、駅で彼に勧めると「健康のために吸わない」と言う
そのころ、あまりそうしたことを言う人は少なかっただけに、強い印象として残っている。

どんな旅だったかは断片的にしか覚えていない
ただ、外国人と一緒ということで、ローカル列車の中では女性の乗客からチョコレートをもらったりして、爽やかな笑い声に包まれての旅だった
今ほど国際化もしていないので、外国人が珍しくもあった
それで、私まで優しくされたのである
いや、乗客たちも一瞬にして仲間になる温かさがあった(つづく)