長者丸の漂流と乗組員の異国遍歴は天保年間のことであるから、なかなか詳細が分からない
それでも、越中の民のことはまだ手がかりがある
一番分からないのは、越後の金六だ

金六は、蝦夷・松前から乗船した
長者丸は日本海を行く西回りではなく太平洋側を通る東回りをすることになったが、この航路を船頭の平四郎の右腕でもあった八左衛門が嫌った
冬場に西風が吹く危険性を認識していたからであろう
そこで東回りに詳しい越後の金六が乗り込む
加賀藩の時規物語によると金六は「下越後岩船郡早田村」の出身とある

しかし、早田村を探せど分からない
隣接の村上市には早川村というのがあるが、こちらは五社丸という船の漂流でよく知られている
最初は、ここの間違いかとも思ったほどだ

室賀信夫博士の「蕃談」では、現在の岩船郡朝日村となっている
角川地名大辞典の新潟県版を図書館で借りて探したところ、朝日村に早稲田という地区があることだけは判明した
ならば早稲田を早田と書いた可能性もある
なにしろ、江戸期の地名は耳で聞いたものを起こしてあることが多く、同じ地名でもいろんな書き方があるのは知っている
実際に、寛政国絵図では早稲田を「わさ田」と書いている

そこで、朝日村役場の教育課に電話をして説明し、「縄文の里あさひ」の学芸員を教えてもらった
専門は縄文時代とのことだが、手掛かりがないか尋ねることにした

さて、ここからいったん余談に入る
とても不思議なことがあったのは、そのときだ
返答を待っている間に、ネットで「朝日村早稲田」を検索していたら「○○商店」という文字が飛び込んできた
その○○というのは、私の苗字である

たくさんはない名字だから、一瞬にして手が止まった
ある古い記憶がよみがえったからだ
私の祖父の弟が、昭和52年に自分のルーツを追った本を出版した
そのときに「新潟の○○氏(同姓)から手紙が舞い込んだ」ことが書いてあったという記憶である

早速、その本を引っ張り出したところ、昭和37年に手紙が届いたとある
内容は、『同じ名字だから、先祖が同じではないか』というもので、それがルーツ探しを始めるきっかけだった、とある
そして、○○氏のフルネームが書いてあり、まさに「岩船郡」とあったのだ

私は金六の出自を探していて、どうやら偶然にも縁の深い人にたどり着いたらしい
ほかにも偶然の出来事がいくつかある
次郎吉が教えてくれたような気持ちさえするのである