明治初期、弁護士は「代言人」と呼ばれていた
今のようなエリートではなく、口先や演技で訴訟を有利に図る輩が多かったという
1回300文で引き受けていたから、「三百代言」との蔑称もある

その「三百代言」が転じて、「八百代言」という言い方もある
こちらは誤った使い方だが、なぜだか世間に浸透している

八百とは数の多いことを表す
大江戸八百八町、大坂八百八橋などもそれだ
誤用のほうの「八百代言」が支持されているのは、「うそ八百」のイメージが強いからだろう
弁護士はそれほど、口先だけの仕事として軽蔑されていた

しかし、いまや弁護士は尊敬される花形商売だ
テレビでもコメンテーターとして、欠かせない存在になった
その弁護士になるには、司法試験に合格しないとならない
国家試験のなかで最難関である
よほどの天才以外は、一心不乱に勉強しないと合格できないとも言われる
このため、一部の人は社会と遊離していくのかもしれない

法律は世間の規律規範や公正さを保つためのものである
なのに、世間が見えなくなり、己だけが正しいとの思想信条を貫こうとする者もいる

山口・光市の母子殺人事件で集中審理が行われている
メディアで、散々言われているから繰り返す気はないが、それにしても不可解な弁護士さんたちである

死刑は、残虐な刑罰として廃止の傾向にあるのは間違いない
だが、日本の現行の刑法に死刑は規定されている
法律は、法律をもって改正されるしかない
そこで、この弁護団は「殺意の否定」「責任能力の欠如」で、死刑回避を目指す戦略に出た

今まで事実関係を争わなかったのに、一転して「ドラえもん」や「魔界転生」などを持ち出しての否認である
世間の人が見る限り、「情状の酌量もない状況」になってしまった
同時に、真実を語れない被告にしてしまったような感じさえある

裁判官も悩むことなく、死刑を言い渡す可能性が高くなった
これで、死刑廃止へ向けての世間の意識の醸成が大幅に後退するのは間違いない