遍路をしていたときの一場面が唐突に浮かぶことがある
寺の境内であったり
宿の部屋であったり
道そのものであったり
知り合ったお遍路さんだったり
お寺の人だったり

すっかり忘れてしまっていたことさえ、突如、眼前に浮かぶ
そのときは懐かしさと同時に、不思議な感じを覚える
思い出そうとしても思い出せないのに、ふっと光景が甦るのだから、いったい記憶というものは、何だろうと思ってしまう
さらに言えば、今見てきたかのように、やたらと鮮明なのである

1番札所の霊山寺から88番札所の大窪寺まで
ときおり名前が出てこなくても、お寺の映像が頭のどこかに記憶されたのは間違いない
いや、1200キロの道のりをちゃんと風景を見ながら歩いている
だから、すべてを一度は目に焼き付けてある

そうした映像が心に浮かぶときというのは、まさに唐突だ
銭湯の湯船に浸かっているとき
ご飯を食べているとき
犬の散歩をしているとき
寝ようとしているとき
要は脈絡もなく、何かの一場面を思い出すのだ

歩いて回ったのが05年夏
翌年夏には大型スクーターでお礼参りに出かけた
だから、どちらの光景も出てくる

歩き続けた先にお寺が現れる
そして、般若心経をあげる
また歩き出す

感謝の日々を送っていた
それは、お大師さまにであり、出会った人に対してであり、四国の大地や海に対してである
なぜだか感謝したくてならなかった

生きていた
間違いなく、生きていた

気候がずいぶんと暖かくなってきた
いろいろと思い出すのは、生きている充実感がほしいのかもしれないし、四国からの誘いかもしれない