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 さて、黒部川第四発電所から先に進む。まずは、現在地の標高869メートルから、1320メートルの作廊谷までを駆け上がるインクラインに乗り込む。人専用ならケーブルカーと呼ぶべき代物だ。これも全線トンネルの中である。

 貨物輸送が主な目的だから箱型をしている。ステンレス製の大きな箱と言ってもいい。なにしろ、最大積載量25トン。それが最大斜度34度を上るのだから迫力がある。この斜度、下から見上げると首が痛くなるほど。上からだとスキーのジャンプ台とほぼ同じ傾斜という。

 高低差は456メートル、距離にして815メートルを移動する。所要時間は約20分。トンネルの壁には階段が刻んであるが、これは2390段あるという。なにはともあれ、「すさまじい」の一言だ。昭和34年11月に完成したという。

 インクラインを降りると、黒部トンネルの中を中型バスで移動する。こちらは10.2キロの距離がある。人を寄せ付けない北アルプスの険しい峰々の山腹に長大トンネルが穿たれ、こうしてバスに揺られていること自体が不思議な経験でもある。ほとんどの人が知らない世界だろう。

 この長大トンネルは、もちろん、黒部ダム建設のために掘られたものだ。途中で破砕帯にぶつかり、進むか断念するかの瀬戸際まで追い込まれたという。破砕帯は軟弱な地盤であり、掘ったところから山が崩れてくるものだ。同時に大量の出水。工事は一歩も進まなくなった。だが、関西電力では、世界銀行に融資を頼むなど資金調達に全力を挙げ、社内でも鉛筆1本に至るまで節約して工事完遂にかけたことは有名な話だ。

 その背景には、戦後の経済復興とともに電力需要が急拡大し、このままでは供給がまかなえない緊急事態にまで陥っていたことがある。総工事費は513億円。これを現在の価値に直すと1兆円は超えるという。電力会社とはいえ、1企業のなした最大の工事であったかもしれない。

 トンネルの途中でバスは停車。タル沢横坑という横穴を歩いて行くと、山の中腹に出る。そこからはアルピニストらの憧れの山・剱岳が間近に見える。それも、平地から見るのとは違う裏からの顔だ。その雪をかぶった姿は、表の顔より切り立ち、鋭さを増している。

 約40分の乗車でトンネルを抜け、黒部ダムに到着する。そこは立山黒部アルペンルートを使って訪れた大勢の観光客でにぎわっている。ハイヒールの若い女性やサンダル履きのおじさんたちもいる。なぜだか変な気分にさせられる。奥山をずっと進んできたのに、そこに普通の観光地があるのだから。

 ダム放水で出来る虹に大喜びする観光客から少し離れたダムサイトに「尊きみはしらに捧ぐ」と書かれたレリーフがある。つるはしやスコップを持った作業員の群像だ。クロヨンで殉職した人は171人。彼らのおかげで世紀の工事は完成した。昭和38年6月。日本が高度経済成長を突っ走る契機になった東京オリンピックの前年のことである。(おわり)