富山県立山町で17日に開かれた布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)のことを昨日掲載したが、実はその会場で情けない光景を見た。
この行事は昨年、9年ぶりに復活し、今年連続で行われた。「癒し」を求める昨今の風潮もあって大勢の観光客が山あいの狭い空間にひしめきあう格好になる。
特に朱塗りの布橋を白装束の女人衆が目隠しで3列になって渡ってくるのが見える方向は、プロアマ問わず、カメラマンがぎっしりと陣取っている。
当方は前もってポジションを決めようと、前々日に下見をした。そのとき業者が5-6人でロープ張りの作業をしていた。地区の人の墓地となっているため、「キケン お墓には絶対上がらないで下さい」と書かれたプレートもお墓ごとに設置していた。
こうした状況を踏まえて、こちらは脚立を持参して撮影に望んだのである。しかし、当日は朝方に予定があって橋渡りの開始時間の2時間前にしか着けなかったら、想定していた撮影場所はすでに取られていた。
そして、案の定、少しでもよく見えるようにと、お墓に上る人が続出。警備員が注意するが、あとから人がやってきて、きりがない。警備員も優しい人なのか、笑いながら「お墓ですから。罰が当たるかもしれませんし-」と。
たいがいの人は注意されれば降りる。ところがそばに地蔵を何体も彫った岩があった。地蔵の顔は消えかけ、苔むして歴史をしのばせるものだ。その岩の上にアマチュアカメラマンがカメラバッグを置く、三脚は立てかける、寄りかかる-。
「わたし、地元の子やが、この地蔵様は昔から大事にしているので、足を掛けないようお願いします」と言っている中年のおじさんがいた。そのとき、足を掛けていた何人かは遠慮したが、おじさんが去ると元の木阿弥。
こちらが「えっ」と思わせるのは、そうした罰当たりな行為が平気なのは若い人ではなく、熟年世代であったことだ。
日本人も変わった。「お墓に上るな」といちいち明言しなくてはならないし、注意されても動じない。ここに次代の日本の姿を見る。「そんなもん、オレには関係ない。罰などあるわけがない。行事をよく見たいだけだ」と。しかし、宗教行事を見に、または撮影に来て「宗教の何たるか」も分かっていない。「真」を写していない写真がいいわけがないだろう。
この行事は昨年、9年ぶりに復活し、今年連続で行われた。「癒し」を求める昨今の風潮もあって大勢の観光客が山あいの狭い空間にひしめきあう格好になる。
特に朱塗りの布橋を白装束の女人衆が目隠しで3列になって渡ってくるのが見える方向は、プロアマ問わず、カメラマンがぎっしりと陣取っている。
当方は前もってポジションを決めようと、前々日に下見をした。そのとき業者が5-6人でロープ張りの作業をしていた。地区の人の墓地となっているため、「キケン お墓には絶対上がらないで下さい」と書かれたプレートもお墓ごとに設置していた。
こうした状況を踏まえて、こちらは脚立を持参して撮影に望んだのである。しかし、当日は朝方に予定があって橋渡りの開始時間の2時間前にしか着けなかったら、想定していた撮影場所はすでに取られていた。
そして、案の定、少しでもよく見えるようにと、お墓に上る人が続出。警備員が注意するが、あとから人がやってきて、きりがない。警備員も優しい人なのか、笑いながら「お墓ですから。罰が当たるかもしれませんし-」と。
たいがいの人は注意されれば降りる。ところがそばに地蔵を何体も彫った岩があった。地蔵の顔は消えかけ、苔むして歴史をしのばせるものだ。その岩の上にアマチュアカメラマンがカメラバッグを置く、三脚は立てかける、寄りかかる-。
「わたし、地元の子やが、この地蔵様は昔から大事にしているので、足を掛けないようお願いします」と言っている中年のおじさんがいた。そのとき、足を掛けていた何人かは遠慮したが、おじさんが去ると元の木阿弥。
こちらが「えっ」と思わせるのは、そうした罰当たりな行為が平気なのは若い人ではなく、熟年世代であったことだ。
日本人も変わった。「お墓に上るな」といちいち明言しなくてはならないし、注意されても動じない。ここに次代の日本の姿を見る。「そんなもん、オレには関係ない。罰などあるわけがない。行事をよく見たいだけだ」と。しかし、宗教行事を見に、または撮影に来て「宗教の何たるか」も分かっていない。「真」を写していない写真がいいわけがないだろう。