人の幸せを喜べるか
四国遍路でのお接待とは、ものをもらうだけではない。一番多くもらったのは「笑顔」だった。通りすがりで二度と会うこともない遍路の私にどうしてあれだけの笑顔を見せてくれるのか。人間とは本来、そんなものなのか、この世も捨てたもんじゃない、と思わせるほどだった。
特におばあちゃんたちの「お気をつけて」の言葉とともに施される笑顔は、一瞬のうちに心が通じ合い、響きあう感じがした。これが和顔施であろう。人のために尽くす無財の七施の一つである。ここで、七つの施しを全部網羅しておきたい。
「捨身施」(しゃしんせ)
「心慮施」(しんりょせ)
「和顔施」(わがんせ)
「慈眼施」(じがんせ)
「愛語施」(あいごせ)
「房舎施」(ぼうしゃせ)
「床座施」(しょうざせ)
以上である。
捨身施については、有名な話がある。お釈迦様の前世の物語「ジャータカ」に書いてあるそうだ。インドの神様が、きつねと猿とうさぎに食べ物を求めた。きつねは魚を捕ってきて、猿は木の実を採ってきた。だが、うさぎは何も持ってない。すると、うさぎは火の中に飛び込んで、その肉を提供したという寓話である。「命」を施すという崇高な物語だが、要は身を捨てて人のために尽くすということであり、体を使っての無償の奉仕を示している。
この物語にはもう一つのエピソードがある。神様がうさぎの優しい心をみんなに見てもらいたいと、月の世界に連れて行ったというものだ。日本でも月にうさぎがいて餅をついているというのは、ここからきているのかもしれない。
心慮施は、心を配るということ。その人の話をよく聞いてあげる。うれしい話はともに喜び、悲しい話はともに泣く。一体になってあげることだ。それで救われることは多いだろう。この心慮施について、奈良の薬師寺管長だった故高田好胤氏は、もっと深く書いている。「人が苦労しているときに同情するのはたやすい。だが、人の幸せを一緒に喜んで上げられないのが人間だ」
人間の心理をうまくついていて、「なるほど」と納得させられる。人を哀れに思う気持ちは自分が優位に立っていると、自然に出てくる。これに対し、相手の幸せをともに喜ぶ方がはるかに難しいのである。たとえば、結婚した、子供が出来た、出世した、宝くじに当たったなど、さまざまなラッキーな出来事が起きたとしよう。家族なら幸せをともに喜べるのは当然である。しかし、他人だとなかなかそうはいかない。表向きはともかくとして、うらやましくて妬むことも多かろう。逆になぜ自分は不幸なんだと運命を恨むかもしれない。
しかし本当に、その人のことを考えられる人間であれば幸せを喜ぶことができるはずだ。強い人間かどうかの物差しでもあろう。
四国遍路でのお接待とは、ものをもらうだけではない。一番多くもらったのは「笑顔」だった。通りすがりで二度と会うこともない遍路の私にどうしてあれだけの笑顔を見せてくれるのか。人間とは本来、そんなものなのか、この世も捨てたもんじゃない、と思わせるほどだった。
特におばあちゃんたちの「お気をつけて」の言葉とともに施される笑顔は、一瞬のうちに心が通じ合い、響きあう感じがした。これが和顔施であろう。人のために尽くす無財の七施の一つである。ここで、七つの施しを全部網羅しておきたい。
「捨身施」(しゃしんせ)
「心慮施」(しんりょせ)
「和顔施」(わがんせ)
「慈眼施」(じがんせ)
「愛語施」(あいごせ)
「房舎施」(ぼうしゃせ)
「床座施」(しょうざせ)
以上である。
捨身施については、有名な話がある。お釈迦様の前世の物語「ジャータカ」に書いてあるそうだ。インドの神様が、きつねと猿とうさぎに食べ物を求めた。きつねは魚を捕ってきて、猿は木の実を採ってきた。だが、うさぎは何も持ってない。すると、うさぎは火の中に飛び込んで、その肉を提供したという寓話である。「命」を施すという崇高な物語だが、要は身を捨てて人のために尽くすということであり、体を使っての無償の奉仕を示している。
この物語にはもう一つのエピソードがある。神様がうさぎの優しい心をみんなに見てもらいたいと、月の世界に連れて行ったというものだ。日本でも月にうさぎがいて餅をついているというのは、ここからきているのかもしれない。
心慮施は、心を配るということ。その人の話をよく聞いてあげる。うれしい話はともに喜び、悲しい話はともに泣く。一体になってあげることだ。それで救われることは多いだろう。この心慮施について、奈良の薬師寺管長だった故高田好胤氏は、もっと深く書いている。「人が苦労しているときに同情するのはたやすい。だが、人の幸せを一緒に喜んで上げられないのが人間だ」
人間の心理をうまくついていて、「なるほど」と納得させられる。人を哀れに思う気持ちは自分が優位に立っていると、自然に出てくる。これに対し、相手の幸せをともに喜ぶ方がはるかに難しいのである。たとえば、結婚した、子供が出来た、出世した、宝くじに当たったなど、さまざまなラッキーな出来事が起きたとしよう。家族なら幸せをともに喜べるのは当然である。しかし、他人だとなかなかそうはいかない。表向きはともかくとして、うらやましくて妬むことも多かろう。逆になぜ自分は不幸なんだと運命を恨むかもしれない。
しかし本当に、その人のことを考えられる人間であれば幸せを喜ぶことができるはずだ。強い人間かどうかの物差しでもあろう。