「歩いているときは、何を考えているのか」
これも遍路から帰宅後、よく聞かれたことの一つである。
残念ながら、「覚えていない」と答えるしかない。実際によく覚えていないのだ。舗装路を行くときは、雑然といろんなことを考えていたような気がする。この道の先のこと、きょうの宿のこと、家のこと、人生のこと……。とにかく、足が勝手に前に行くだけで、前方や周囲の景色を見ながら、ただ、歩いているだけである。
これに対して、山道では尖った石も出ているし、木の根っこも飛び出ている。足をくじかないか、または滑らないか一歩ずつ足元を見なければならない。もちろん、ミミズやヘビがいないかも確認している。その結果、上り下りとも体力的にもきついし足も痛むが、時間がたつのが異常に早い。もう一時間は歩いたかと思って、携帯電話を取り出して時刻を見ると、とっくに二時間が過ぎていたりする。
昔、読んだ話に、こんな逸話があった。ある飛脚がもっと速く走れるようにするにはどうしたらいいかと聞いたら、「赤い石を踏まないように走れ」と答えた人がいたという。飛脚はその答えにしたがって、赤い石に気をつけながら走ったが、そんな石はなかった。しかし、実際に速く到着したというのだ。つまり、よそ見をして気が散らないから速く走れたということだろう。言いえて妙である。
誰もいない山道も、気が散るような景色はない。杉などの木々が生い茂って、日が差さない。視界に広がるのは、茶色っぽい道と、木の幹、緑の葉。どれだけ登っても、同じようなカーブがあるだけだ。
何時間もそうしたところを登っていると、自然に「南無大師遍照金剛」と唱えてしまう。時折、「六根清浄、お山は晴天」とも言っている。「ろっこん……」で右足を進め、「しょうじょう」で左足を出す。山の上りには、このテンポが実に合う。
六根とは身体のことだ。仏教では「色、声、香、味、触、法」の六つの世界を感じ取れる器官として、「眼、耳、鼻、舌、身、意」と表している。これが六根である。般若心経にもこれらの言葉がある。「色」とは赤や青などの色とか色欲の色と違って、存在や現象を指す。「法」は心と言ってもいい。あとは読んで字のごとくである。
つまり、感覚器官で受け止めたすべての事柄が煩悩に通じるのであって、それが悟りの妨げになるという。「なぜ、自分はきれいに生まれなかったのか」「あんなひどいことを言われた」「嫌われているのだろうか」「なぜ、こんなひどい仕事をしなければならないのか」「暗い性格が嫌だ」「運がない」など、人の悩みはすべてここから発する。
「六根清浄」とは、六根の執着を断つことで心を清浄にするという意味だ。
これも遍路から帰宅後、よく聞かれたことの一つである。
残念ながら、「覚えていない」と答えるしかない。実際によく覚えていないのだ。舗装路を行くときは、雑然といろんなことを考えていたような気がする。この道の先のこと、きょうの宿のこと、家のこと、人生のこと……。とにかく、足が勝手に前に行くだけで、前方や周囲の景色を見ながら、ただ、歩いているだけである。
これに対して、山道では尖った石も出ているし、木の根っこも飛び出ている。足をくじかないか、または滑らないか一歩ずつ足元を見なければならない。もちろん、ミミズやヘビがいないかも確認している。その結果、上り下りとも体力的にもきついし足も痛むが、時間がたつのが異常に早い。もう一時間は歩いたかと思って、携帯電話を取り出して時刻を見ると、とっくに二時間が過ぎていたりする。
昔、読んだ話に、こんな逸話があった。ある飛脚がもっと速く走れるようにするにはどうしたらいいかと聞いたら、「赤い石を踏まないように走れ」と答えた人がいたという。飛脚はその答えにしたがって、赤い石に気をつけながら走ったが、そんな石はなかった。しかし、実際に速く到着したというのだ。つまり、よそ見をして気が散らないから速く走れたということだろう。言いえて妙である。
誰もいない山道も、気が散るような景色はない。杉などの木々が生い茂って、日が差さない。視界に広がるのは、茶色っぽい道と、木の幹、緑の葉。どれだけ登っても、同じようなカーブがあるだけだ。
何時間もそうしたところを登っていると、自然に「南無大師遍照金剛」と唱えてしまう。時折、「六根清浄、お山は晴天」とも言っている。「ろっこん……」で右足を進め、「しょうじょう」で左足を出す。山の上りには、このテンポが実に合う。
六根とは身体のことだ。仏教では「色、声、香、味、触、法」の六つの世界を感じ取れる器官として、「眼、耳、鼻、舌、身、意」と表している。これが六根である。般若心経にもこれらの言葉がある。「色」とは赤や青などの色とか色欲の色と違って、存在や現象を指す。「法」は心と言ってもいい。あとは読んで字のごとくである。
つまり、感覚器官で受け止めたすべての事柄が煩悩に通じるのであって、それが悟りの妨げになるという。「なぜ、自分はきれいに生まれなかったのか」「あんなひどいことを言われた」「嫌われているのだろうか」「なぜ、こんなひどい仕事をしなければならないのか」「暗い性格が嫌だ」「運がない」など、人の悩みはすべてここから発する。
「六根清浄」とは、六根の執着を断つことで心を清浄にするという意味だ。